国鉄末期の1987年春までに、金帯3本を巻いた24系グレードアップ編成に衣替えした東京—博多間の寝台特急「あさかぜ1・4号」(博多あさかぜ)。2人用B個室寝台やシャワールームが設けられ、食堂車など編成単位で内装を一新。快適性を向上させた「老舗ブルートレイン」の変身は大きな話題を呼んだ。
ブルトレで多く使われていた24系客車は、当時登場から10年前後が経過。他の交通機関の発達や宿泊施設の多様化もあり、テコ入れが必要になっていた。グレードアップは今後の活性化に向けたモデルケースとして行われ、博多あさかぜは年間乗車率が65〜84%と比較的高かったこともあり対象に選ばれた。
最も注目されたのは、新登場の2人用B寝台個室「デュエット」とシャワールーム、それに優雅なオリエント調の内装に変わった食堂車で、当時の鉄道書籍・雑誌もこぞって乗車ルポなどを掲載した。
静かで快適な車内を目指したグレードアップは、B寝台車の居住性も向上させた。カーペット敷きになった暖色系の内装はワンランク上の雰囲気となり、プライバシー確保のためカーテンの構造も見直された。洗面所は1人ごとに区切られた三面鏡・自動水栓付きに変わった。
新生博多あさかぜはJR最初期、東海道・山陽筋で2階建て100系新幹線と二枚看板のようだった。
筆者が新編成になったあさかぜ1・4号に初めて乗ったのは、JRに移行直後の5月だった。個室寝台車が連続する通路が新鮮で、豪華な食堂車の内装に驚いた。
下関まで立席特急券での乗車だったが、車掌さんに声をかけると、たまたま空いていた「デュエット」の1室を使わせていただき、他の各個室も見学させていただいた。
東京から乗車した8月にはシャワールームも利用。列車内とは思えない体験に新時代を感じ、もう他のブルトレには戻れなくなった。
往年の博多あさかぜはA寝台車が連なる堂々とした編成で、各界の名士が乗ることもあり「殿様あさかぜ」と呼ばれていた。出世列車として名高かったと記した文献もある。そうしたブルトレの歴史を知り、山陽新幹線開業以前の往時を想像すると、グレードアップされた15両編成のあさかぜ1・4号には老舗の誇りと伝統の重みを感じた。
博多あさかぜはその後、航空機や夜行高速バスの発達に加え、新幹線「のぞみ」が東京—博多間を5時間で結ぶようになると、94年12月に事実上廃止された。新編成になってわずか7年、看板列車の退場はブルトレの凋落を感じさせた。
それでも、博多あさかぜで花開いたグレードアップは他の列車に広がり、JR時代のサービスの多様化につながった。新型車両が投入できない状況下で精いっぱいの手本を見せたのは、ブルトレ発祥のこの列車にふさわしかった。