初代ブルートレイン20系の車内拝見 福岡市貝塚公園ナハネフ22形を訪ねる

1958年に寝台特急「あさかぜ」でデビューし、「走るホテル」と呼ばれた初代ブルートレイン20系客車。福岡市の貝塚公園には優美な姿を伝える編成端の緩急車ナハネフ22 1007が展示されている。年2回行われる車内公開を訪れた。

同車は1965年、ナハネフ22 7として製造。当初はブルートレインの車両基地として有名だった品川客車区(東京都港区)に配置され、東京—九州間の列車で使われた。

20系は76年から急行列車への格下げが始まり、九州では門司港—西鹿児島間の「かいもん」「日南」で78年から約8年間使われた。

ナハネフ22 1007車端部の展望室。半室
構造の簡素な雰囲気だが、眺めは良好だ

ブルートレインがすっかり過去となった今、寝台列車の保存車両は昭和の時代性、社会性を伝える側面からも年々注目度は高まっている。福岡市ではナハネフ22 1007の車内を公開するイベントを年2回(3・10月)開いている。

ナハネフ22 1007の車内に入り、まずは20系の「名所」、車端部の展望室を見る。半室構造になっていて、大型曲面ガラスからの眺めは良好だ。

国鉄末期ごろから登場した、眺望に優れたジョイフルトレインや特急車両のパノラマグリーン車に比べると簡素だが、開発時の昭和30年代を思うと、当時はぜいたくなサービスだったことだろう。

ナハネフ22 1007の客室通路。雰囲気は1世代
あとの14系・24系のB寝台車とあまり変わらな
いが、寝台番号を記したプレート位置は独特だ
中段寝台、枕、シーツ、浴衣をセットし、夜の
状態を再現した区画。シンプルな24系25形と
比べると可動できる中段の機構部分が目立つ
幅52センチの3段だった20系のB寝台。
低い天井の下段を見ると狭さを実感する

客室に立つと昭和ノスタルジーの空間が広がる。ただ、1世代あとの14系・24系寝台車に親しんだ筆者が感じる懐かしさは自身の思い出を重ねたものではなく、鉄道黄金期をしのぶ歴史的背景によるものだ。

20系の幅52センチの3段式B寝台は、ブルートレインブームが起こった昭和50年代の主力で幅70センチの2段式だった24系25形などに比べると圧倒的に狭い。令和の世では間違いなくサービスとして成り立たない設備だ。

だが、20系のインテリアは曲線が多い印象で、随所に温かみを感じる。省力化・難燃化を進めて全体的に無機質でシンプルだった24系25形とは対極だ。

ともあれ、ブルートレインとしての基本的な構造は14系・24系とあまり変わらない。それは20系で確立したものを引き継いだのだから当然なのだが、60年以上前にこの水準に達していたことを考えれば、やはり国鉄を代表する花形列車だったことがうかがえる。

中段寝台を格納状態にした区画。寝台
幅が異なるため「座席」としての着席
感は14・24系のB寝台とはやや異なる
展望室と反対側の車端部には洗面所と
トイレが設けられている。14系・24系
に比べると天井が高くて開放感がある

引退車両の保存は維持管理、特に資金や労力の確保が課題となる。ナハネフ22 1007は数年前、会社経営者と小学生(当時)が車両補修に向けたクラウドファンディングを実施したことで話題となった。

筆者が訪れた日、車内公開の見学者はその時点で数百人に達していたといい、寝台列車をよく知らない若いファミリー層も目立つ。屋外展示は保存環境として決して良くないが、今後も行政・市民が手を携え、鉄道黄金期の名優を伝えていってほしい。

(訪問:2026年3月29日)

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※ナハネフ22形外観(姉妹ブログれきてつ)

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンから見た小さな鉄道史を発表しています。
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