東京と地方をつないだブルトレ~山口県内の停車駅振り分け

かつて東京駅から一晩かけて東海道・山陽本線を走ってきたブルートレインは、山口県内で朝を迎えた。岩国から下関まで中小地方都市が点在する同県。新幹線を補完する役割もあった各列車は停車駅を振り分けていた。

国鉄末期からJR初期を見ると、東京—山口県内は寝台特急「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ1・4号」「あさかぜ3・2号」の6本が走っていて、全て停車するのは下関駅のみだった。

停車駅や発着時間は年代によって多少異なるが、1984(昭和59)年頃のダイヤで見てみると、まず早朝に約15分間隔で走ってくる「さくら」「はやぶさ」「みずほ」の3本は、宇部・山陽小野田地域の宇部、厚狭、小野田の各駅をそれぞれに振り分けていた。

早朝の小郡駅に到着する「はやぶさ」。けん引機
がEF66形に交代した1985年以降スピードアップ
し、この写真の92年は午前6時過ぎに着いていた

「富士」は「みずほ」の約1時間後を走っていて、他の列車が停車しない県東部の柳井、下松の両駅に停車するのが特徴だった。

「富士」の後の「あさかぜ1号」の停車駅は比較的オーソドックスで、一番最後にやってくる「あさかぜ3号」は下関止まりだったせいか、山口県内ではほぼ全ての主要駅に停車する補完的な役割を担っていた。

面白いのは「山口県の玄関口」であるはずの小郡(現新山口)駅で、意外にも午前6時台に着く「さくら」「はやぶさ」を除くと、同9時半頃に着く最後の「あさかぜ3号」しか停車しなかった。

79年から走り始めた山口線の「SLやまぐち号」は当時小郡駅を午前10時に発車していたので、「あさかぜ3号」の接続は良かったが、食堂車やA個室寝台が連結されていない編成だったため、観光利用ではちょっと物足りなかったように思う。

小郡駅を通過する24系25形「富士」。岩国、徳山
などの主要駅に停車しないダイヤだった=1991年

山口県内の停車駅の振り分けを鉄道ファンの立場でみると、親と一緒に乗った子どもの頃はちょっと厄介だった。

東京の親類宅を訪れた際、ブルトレで帰るのが常だった筆者は、一番好きだった「はやぶさ」に乗りたかった。しかし、地元の防府駅は通過で、最も近い小郡駅も午前6時台の到着だった。親が買ってくる切符は停車駅・時間帯とも利用しやすい「あさかぜ」だった。

高架化前の防府駅に到着した「あさかぜ1号」。金帯
グレードアップ編成は国鉄末期に投入された=1992年

山口県の山陽本線沿線には人口10万人前後の中小都市が点在し、企業の工場が立地するまちには寝台特急の出張利用が見られた。新幹線を補完する意味でも停車駅の振り分けは必要だった。

90年代半ば以降、東京—九州間の寝台特急は次々削減され、山口県内の停車駅もその都度、整理されていった。最後の九州ブルトレとなった「富士・はやぶさ」(2009年廃止)は岩国、柳井、下松、徳山、防府、新山口、宇部、下関の各駅に停車した。

進学・就職から観光まで、自分の住むまちと東京を乗り換えなしで行き来できるのは、新幹線の高速化や航空機網の整備が進む以前は、多くの人にとって重宝したのではないだろうか。

地方都市にとってはたとえ1本でも、東京と直接つながる意義は大きかった。

東京行き寝台特急の乗車口案内板=防府駅、1994年
bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンから見た小さな鉄道史を発表しています。
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