大人への階段だった食堂車

雄大な車窓を眺めながらご当地の味覚に舌鼓—。近年、車内で食事が楽しめる観光列車が人気を集めている。特に地方鉄道では利用促進や地域振興につながっているようだ。

かつては長距離優等列車の華として食堂車が連結されていた。今よりもっと日常的で、予約なしでも利用できる「走るレストラン」だったが、新幹線の整備や高速化が進むにつれ姿を消してしまった。

旅情豊かな寝台特急「あさかぜ」の食堂車

昭和末期から平成初期にはずいぶん減っていたが、まだ東京—博多直通の新幹線には連結されていて、ビジネスマンは「戦士の休息」の場として、旅行者は非日常が味わえる空間として機能していた。

また、寝台特急(ブルートレイン)の一部にも残っていた。東京駅を出発して一晩過ごした後、瀬戸内海を眺めながらの朝食は格別だった。

眺望に優れた2階建て新幹線やアンティークな内装となった寝台特急「あさかぜ」が登場した昭和60年代、新たな魅力を備えた食堂車は脚光を浴びた。

ただ子どもには「大人の社交場的」なイメージがあり、特に奥が見えないひかり号の2階建て食堂車は入りづらかった。

「グランドひかり」の2階食堂の入り口。
階段を上るときにはワクワク感があった
食堂車1階の通路から2階を見る。通り抜けるとき
おいしそうなにおいが漂ってきて、食欲をそそった

2階建てひかり号に乗った中学生の頃、期待と不安が交錯するなかその階段を上がると、従業員に「お食事ですか?」と聞かれた。カメラを持った坊主頭の少年だったから「見学」と思われたのは無理もない。

それでも一番安いビーフカレーの注文だったが「客」となり、一人で会計まで済ませたことは、鉄道趣味を忘れてうれしかった。

その後成長し、堂々「お客さん」になった頃には、食堂車はもう「絶滅危惧種」のように少なくなっていた。

「グランドひかり」がなくなる前に最後利用した。入り口の6段を上ったときのワクワク感は変わらなかったが、少年時代のドキドキ感は消えていた。大人の階段を上ったことを実感した。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から小さな鉄道史を発表しています。

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