山陽本線の難所、広島県の「セノハチ」を越える貨物列車の後部補機として、国鉄末期の1982年に既存形式の改造により登場したEF67形電気機関車。「直流機=青色」という当時の常識を破る「もみじ色」と呼ばれた朱色塗装で、チョッパ制御を採用。デッキ付きの古風なスタイルとの組み合わせは独特の魅力があった。
「セノハチ」は瀬野—八本松間の、上り線が22.6パーミルとなるこう配区間だ。通過する貨物列車などは後部補機が必要となるが、80年代前半になっても戦前生まれの旧型電機の置き換えが順調に進まず、EF53形とEF56形を改造したEF59形が依然活躍していた。
EF67形は、そうしたベテラン機の重連運用を1両でこなせる後継形式として計画された。当時車齢20年に達していたEF60形を約1億円かけて改造の上、用意された。

EF67形1号機=広島運転所、1986年
最も目を引くのは、広島県の県木モミジにちなんだ赤11号の車体だ。黄色の飾り帯、黒色のスカート…筆者が初めて見たのは鉄道雑誌だったが、ブルートレインでよく見るEF65形と同じ直流機の、大きく異なる装いに衝撃を受けた。
当時の国鉄では各地域でオリジナル塗装が広がり始めていて、広島地区では「瀬戸内色」の115系3000番台近郊形電車も同じ年にデビューした。EF67形は「セノハチ」専用だったから「もみじ色」になるのも不思議なことではなかったが、この新形式への関係者の期待が込められている気がした。
EF67形への改造は、手がける国鉄広島工場としては、やりがいのあるプロジェクトだったようだ。車両の設計、部品の手配、図面の作成、そして実作業が同時進行する中、「日本初のチョッパ機関車をわが手で」を合言葉に、関係各所の支援と協力を得て改造を進めていったという。
当時の同工場車両課長・北野嘉幸氏の寄稿(「鉄道ファン」1982年6月号)からは、現場の熱気と緊張感が伝わってくる。

デッキスタイルが個性的なEF67形=西条駅、1993年
しかし、当時小学生で「セノハチ」について何も知らなかった筆者は、EF67形の見た目に強い違和感を覚えた。貨物列車の自動解放を行う電空栓付き密着自動連結器などを取り付けた1エンド側は、「新型」とは思えない貫通扉とデッキ付きの武骨なスタイルだった。
逆に2エンド側はスマートな非貫通スタイルだったが、誘導員手すりが尾灯の内側にあるのが落ち着かなかった。それなのにエッチング式のナンバープレートやPS22B形パンタグラフは、当時最新鋭だったEF64形1000番台と同じ装いだった。
これらのアンバランスさが、しっくりこない正体だったように思う。

スタイルが変化。1エンド側もいくぶんスマート
な姿となった。写真は更新前の1993年=西条駅
その後、JR貨物が増備したEF67形100番台は、EF65一般形の最終グループからの改造となり、特徴的だったデッキスタイルは姿を消した。しかし、種車の関係で0番台とはいろいろと異なっていたのも、この形式らしくて面白かった。
EF67形は改造車ながら長期間活躍し、最後の105号機が引退したのは2022年だった。子どもの頃にちぐはぐな印象を受けたもみじ色の電気機関車。この「個性派」が逆に魅力的に思えるようになったのは、大人になってからだった。

