東京から九州に向かう寝台特急が毎朝到着し、けん引する電気機関車の交換が行われた下関駅(山口県下関市)。国鉄時代には銀色に輝く関門トンネル専用の機関車が登場した。直流機EF65、EF66形から交直流機EF30、EF81形300番台へのリレーは、ブルートレインの楽しみの一つだった。
EF30形は、直流電化の下関駅側から交流電化された門司駅構内に直通できる機関車として、1960(昭和35)年に試作機が登場。翌年から量産され、68年まで計22両が製造された。海底下を走る関門トンネル専用機として、車体は塩害を防ぐステンレス製となった。
交流区間を走るのはほぼ門司駅構内に限られていたため、EF30形は交流の出力を直流の4分の1にするなど、性能面でも関門に特化していた。
関門海峡を越えるブルートレインは、この「船頭さん」がエスコートした。紺色から銀色の機関車に変わるメリハリが、乗客に九州入りを実感させた。
関門間を走ったステンレス車体の機関車は他に、73年にデビューしたEF81形300番台もあった。こちらは標準型の交直流機を関門仕様にしたものだったが、わずか4両の存在だった。
今でこそEF30形の姿は「古き良き」といった魅力を感じるが、ブルートレインを追いかけていた小学生の頃はEF81形300番台の方を好んだ。ただ、当時(昭和50年代後半)は2両が常磐線に移っていて、一層の少数派になっていた。
「EF81が当たらないかな」。ブルートレインで九州へ向かった時、フレッシュな新鋭機の登場を祈って下関駅に降り立った。しかし、その期待はいつも落胆に変わった。現れるのは決まって「年老いた船頭さん」の方だった。
EF30形は国鉄が終わりを迎えた87年春までに全22両が引退した。保存機は、碓氷峠鉄道文化むら(群馬県安中市)に20号機があり、地元・北九州市門司区には関門海峡を望む和布刈公園に試作の1号機が、九州鉄道記念館に3号機のカットボディが置かれている。
一方のEF81形300番台の方は、国鉄分割民営化時にJR貨物が継承。貨物機として活躍を続けた。現在唯一残る303号機は誕生から半世紀を超えた。国鉄末期にベテランだったEF30形の2倍以上の年月を走ってきた「レジェンド」は、鉄道ファンから絶大な人気を集めている。
※下関駅でのブルートレインの機関車交換は以下の記事にもまとめています