1958年にデビューし、東海道本線黄金期の主役だった「こだま形」151系特急形電車(後に181系に統一)。新幹線開業後は山陽、上信越方面で活躍を続けた。ほとんどの車両が80年代前半には引退したが、車齢が若かった2両は九州に渡り「第二の人生」を送った。
181系の最後の舞台は上越線の特急「とき」(上野—新潟)だった。豪雪と闘いながら力走する姿は多くの鉄道ファンを魅了したが、82年の上越新幹線開業でその活躍を終えた。
一方、九州では鹿児島本線の「有明」、日豊本線の「にちりん」など特急網の整備や運用車両の見直しに伴い、先頭車両が不足していた。このため当時の国鉄は東北新幹線開業まで在来線特急で使われていた485系の一部のほか、保留車として残っていた2両の181系も活用することにした。
九州に渡った2両(クハ181-109とクハ180-5)は東海道本線を走った151系ではなく、当初から181系として登場した69年製造の最終グループで、「とき」撤退時は車齢十数年と、まだ十分働ける車両だった。
181系の2両は直流から交直流仕様の485系に改造され、その一員として活躍を始めた。ただ、施工は最小限にとどめられたため、クハ481-501と502に改番されても181系時代の面影を強く残していた。特に485系オリジナル車とは異なる低い車高はよく目立った。
鉄道ファンはそんな特徴のある2両を懐かしさと新鮮さで追いかけた。
筆者は熊本を訪れた90年春、クハ481-501に出会った。当時のお目当てはブルートレイン「はやぶさ」「みずほ」だったが、撮影地で一緒になったおじさんから「珍しいのが来るよ」と教えられ、待ってみたのがきっかけだった。
以降気になる存在になり、調べてみると小学校の修学旅行のアルバムにも同車が偶然写っていて、親しみが一層湧いた。
JR発足後、九州の鉄路は全国に先駆けて新型特急電車が投入され、元181系の2両はせっかくの「再就職」も、その活躍期間は10年にも満たなかった。
それでもローカル特急として黙々と働いた「こだま形」の生き残りは、書籍で見る華やかな全盛期とは違った魅力があり、往時を知らない筆者のような世代に伝説の名車に親しむきっかけをつくってくれた。