東京—九州間の寝台特急に使われていたブルートレインの客車は国鉄時代、東京・品川に集中配置されていた。しかし分割民営化を見据えた1986年11月ダイヤ改正で、「はやぶさ」「富士」などは九州側の車両基地に移管された。多くの編成を引き継いだ熊本は一躍、主力拠点となった。
東京の田町—品川間にはかつて広大な車両基地があった。人気のブルートレインが並んだ品川客車区は鉄道少年たちの憧れで、配置車両に書かれた「南シナ」という表記はちょっとしたブランドだった。
それが一変したのは国鉄末期だった。分割民営化後の新生JR4社をまたぐことになる九州ブルートレインは、JR東日本とJR九州で車両を分担することになった。
「はやぶさ」「富士」は基本編成(1〜6号車)が鹿児島運転所、付属編成(7〜14号車)が熊本客車区(のち運転所)の配置に変わり、「さくら」「みずほ」も基本編成(1〜8号車)は熊本の受け持ちとなった。
品川に残ったのは「あさかぜ1・4号」「出雲1・4号」と、「さくら」「みずほ」の付属編成(9〜14号車)のみとなった。
熊本は関西ブルトレの「なは」も担うことになり、主要ブルトレ基地として注目されるようになった。
品川の車両基地に特別感のようなものを抱いていた私は、九州ブルトレの引っ越しには複雑な気持ちだった。特に「虎の子」だったA個室寝台車「オロネ25形」が他へ移るのは、イメージがつかなかった。
編成構成も変わり、A個室寝台車が長年見慣れた1号車から後ろ寄りの13号車に移ったのも落ち着かなかった。
そんなこともあり、その後しばらくは、品川に残ってグレードアップされた「あさかぜ1・4号」ばかりを追いかけるようになった。
熊本の車両基地を見に行ったのは90年代に入ってからだった。ブルトレ拠点となって3年以上が過ぎていたが、壮大だった品川かいわいを思うと、やはり物足りなく感じた。
だが、駅のホームに向けて掲げられた「ブルートレイン」と書かれた看板を見て、その意識は一変した。目にしたのはわずか7文字だったが、ブルトレを受け持つ車両基地の誇りと使命感が十分伝わってくるものだった。
熊本運転所は、2009年の九州ブルトレ全廃まで「はやぶさ」「富士」の運行を支えた。国鉄末期から二十数年、「名門」品川に劣らぬ活躍だった。
※姉妹ブログ「れきてつ」では、熊本配置のブルートレインの編成端で見られた青い貫通幌(ほろ)についてまとめています(少々マニアックな内容です…)