記事一覧
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九州鉄道記念館のスハネフ14 11〜昭和のブルトレを後世へ
2009年まで半世紀以上親しまれた東京ー九州間のブルートレイン。活躍した車両はそのほとんどが解体されてしまったが、九州鉄道記念館(北九州市門司区)では、「富士・はやぶさ」の最終列車にも組み込まれたB寝台車「スハネフ14 11」が保存・公開されている。 -
山陽本線の名所・四郎谷の入り江
山陽本線に乗ったときの楽しみは車窓に広がる瀬戸内海。東京駅からの寝台特急で朝を迎えたときの、陽光を受けてキラキラと輝く景色は印象的だ。山口県周南市から防府市にかけての戸田—富海間はさまざまな表情の海が広がる。その中ほどにある四郎谷地区の穏やかな入り江は、風光明媚な名所として親しまれている。 -
下関駅の機関車交換~ブルトレの朝の「儀式」
夕方から夜にかけて次々に東京駅を出発した九州方面行きの寝台特急。乗車して一夜明けると恒例の「儀式」があった。本州西端の下関駅での機関車交換。多くの鉄道ファンが注目するブルートレインの旅のハイライトだった。 -
SLやまぐち号 C571の煙突と集煙装置
国鉄での蒸気機関車復活が実現し、山口線にSLやまぐち号が走り始めたのは1979(昭和54)年のこと。産業遺産や観光資源としての期待が高まり、ローカル線活性化の切り札としての登場だった。けん引機のC57形1号機には、集煙装置や回転式火の粉止めなど、煙害を防ぐさまざまな改造が施された。 -
特急ヘッドマーク 幕回しの楽しみ
終点に着いた列車が折り返すときに見られる幕回し。かつて東北、上信越方面へ多くの特急列車が発着していた上野駅では、行き先方向幕だけでなく、前面を飾るヘッドマークの幕回しが見られた。一番の楽しみは普段見られなかったり、既に廃止された列車が一瞬だけ「復活」することだ。少年カメラマンには恰好の被写体だった。 -
乗らなかった20系客車への憧憬
2015年まで60年近くにわたって親しまれたブルートレイン。「象徴」といえば20系客車になるだろう。一時代を築いたが、80年代になるとその後登場した車両と比べて見劣りするようになり、「急行」として運転されるケースが増えていた。 -
大人への階段だった食堂車
かつては長距離優等列車の華として食堂車が連結されていた。昭和末期から平成初期にはずいぶん減っていたが、まだ東京—博多直通の新幹線などには連結されていて、ビジネスマンは「戦士の休息」の場として、旅行者は非日常が味わえる空間として機能していた。 -
まぶしい存在だった昭和末期の205系
今ではスタンダードとなった軽量ステンレス製の鉄道車両。開発当初は東急電鉄などで見られるだけだったが、国鉄が1985(昭和60)年、205系電車で採用したのを契機に急速に普及した。山手線に投入された銀色の電車は、人々の国電のイメージを一変させた。 -
九州最古の木造駅舎・油須原駅〜往時の鉄道の面影を求めて
福岡県筑豊地方の3路線を引き継ぎ1989年に開業した平成筑豊鉄道。四季に彩られる田園風景は多くのカメラマンを魅了し、石炭輸送時代の歴史遺産も多く残ることから鉄道ファンの注目も集めている。2022年に復元改装され地域交流拠点に活用されている九州最古の木造駅舎、油須原駅を訪ねてみた。 -
グランドひかり さよなら運転(2002年)
食堂車を含む2階建てを4両連結し、東海道・山陽新幹線を代表する列車として約13年間にわたって活躍した「グランドひかり」が、2002年11月23日の「さよなら運転」を最後に引退した。新幹線の高速化などの影響を受けた形だが、眺望に優れた食堂車が人気だった名列車の退役を惜しむ声は多い。 -
大都会から山口県に移ってきた103系
1992年6月のJR山陽線防府駅(山口県防府市)。上り列車を待っていると、いつもと同じ瀬戸内色ながら、いつもと違う平べったい顔の電車が現れた。車体の形式名を見ると、なんと東京や大阪を走っていた103系だった。聞き覚えのある独特のドア閉め音とモーター音が鳴り響く。心に衝撃が走った。 -
ブルートレイン出雲の旅路2(東京—出雲市 2005年)
「出雲」は京都から山陰線に入り、ディーゼル機関車DD51形が終点の出雲市までけん引する。翌朝、香住到着前のおはよう放送で目を覚ました。7時すぎに名所・余部鉄橋を通過。高さ41㍍からの眺めは空中散歩をしているような感覚だ。