国鉄時代に約3500両が製造された103系通勤形電車。1974年にデビューした後期型の高運転台先頭車クハ103形は、長く国電の顔として親しまれた。特徴的な前面窓下のステンレスの飾り帯は、デザイン上の苦肉の策として入れられたものだった。
103系は国鉄新性能電車の元祖101系の後を受けて63年に登場。デザインもほぼ引き継いでいた。だが、主要投入線区だった山手線、京浜東北線に自動列車制御装置(ATC)が導入されることになり、機器を搭載する先頭車両をマイナーチェンジすることになった。
この時、車両設計事務所から乗務員の居住性と視認性を向上させるため「運転席を高い位置にしたい」との提案が出されたという。
旧国鉄で103系の車両計画に関わった大熊孝夫氏によると、運転席を高くした車両前面の出来上がり見取り図を見た関係者は、異口同音に「間が抜けていないか」と話したという(「鉄道ファン」2006年5月号)。
運転席を30センチ高くした結果、前面窓の位置も高くなり、ガラス面は上下12センチほど狭くなった。均整の取れていた101系以来の「顔」は崩れていた。
そこでバランスを取るため知恵を絞って入れられたのが、ステンレスの飾り帯だった。74年以降のクハ103形は全て高運転台となり、やがて各線で見られるようになった。
私が子どもの頃を過ごした昭和50年代の東京は、高運転台の103系が国電の顔だった。子ども向けの書籍には山手線や京浜東北線がよく載っていたし、最初に手にした103系の鉄道模型もうぐいす色のこのタイプだった。
ステンレスの帯は塗装を省くため、当時最新鋭だったブルートレインの24系25形にも採用されていて、銀色の輝きはこの時代、新しさの象徴のような雰囲気もあった。
大量生産され余計なコストをかけない通勤形電車にあえて入れられたステンレスの飾り帯。見慣れていた「銀色のベルト」をきちんと意識したのは、ずいぶんたってからだった。
帯のない姿を想像して高運転台車を見ると、何とも引き締まらない「顔」が現れた。その瞬間、立った1本で印象を変えるデザインの魔法のようなものを感じた。
※103系は以下の記事にもまとめています(こちらは低運転台車です)