国鉄時代に長大編成が行き交った山陽本線も、「ひろしまシティ電車」の登場を経てJR西日本に移行すると各地域ごとに見直された。山口県内を走っていた115系近郊形電車は1989年に最短の2両編成も登場した。
115系550番台は、当時製造から25年前後たっていた4両編成(0番台)のうち、中間電動車2両を先頭車化したものだった。T1〜T4編成の4本あり、廃車のものを流用した前頭部や冷房化の施工方法などで形態差が生じ、鉄道ファンとしては興味深かった。
「デカ目」と呼ばれた大きな白熱灯ヘッドライトを備えた国鉄伝統の「顔」なのに異様に短い—。そのちぐはぐな姿はユニークだった。

当初は写真の瀬戸内色のほか、オレンジに緑色の
湘南色も見られた。編成ごとに形態差があり、ラ
イトが「デカ目」の2両は人気だった=1992年
しかし乗客の立場になると、ちょっと違った。4両から2両になると何だか窮屈で、実際に座れないことが多かった。
学生時代に「青春18きっぷ」で東京から普通列車を乗り継いでいた時、快適な新快速電車に揺られた京阪神地区を過ぎ、最後岩国から115系550番台になるのが苦痛だった。すっかり日が暮れて車窓が楽しめないこともあり閉塞感を覚えた。
岩国以西の普通列車の快適性では、2人掛けの転換クロスシートが並ぶ4両編成(3000番台)と2両編成の550番台は対極的な存在だった。

ライトや冷房装置が変化した=防府—富海、2006年
いろいろな思いが交錯した115系550番台も、車社会の地方暮らしになると乗車機会はほとんどなくなった。そうなるとまた目線は変わり、たまに見かけると「旧友」のように思えた。デカ目車両は土台を残したまま通常ライトを取り付けた独特の顔になり、いよいよ大ベテランの風格が漂っていた。
115系550番台は2008年末ごろから順次引退した。後継の115系も改造による2両編成で「T編成」を名乗る。窮屈な雰囲気も「初代」そっくりで、乗車すると妙に懐かしかった。
【関連記事】
歴鉄2番線


115系3000番台〜都市圏輸送を変えた「シティ電車」 | 歴鉄2番線
国鉄末期の1982(昭和57)年、広島地区に登場した「ひろしまシティ電車」。地方都市で首都圏の国電並みの等間隔・高頻度運転を実現させたもので、「待たずに時刻表なしでも…

