広島・山口地区を走る山陽本線の115系電車といえば、クリーム色に青帯を巻いた瀬戸内色がよく知られていたが、JR初期までは一般的な緑とオレンジ色の湘南色が多かった。これらは関東圏から移ってきた初期型から生え抜きの改良型、さらには中間車を先頭車に改造したグループもあり、その豊富なバリエーションは人気だった。
湘南色の115系が最も多く見られたのは、国鉄末期の1986年ごろから瀬戸内色への変更が始まった89年ごろまでで、大きく分けて冷房がない初期型0番台、冷房が付いた300番台、シートピッチを広げ耐寒耐雪型とした1000番台、同じ改良型で暖地型の2000番台があった。
このうち、0、300番台は国鉄末期に関東圏の東北、高崎線から移ってきた広域転配車。1000番台は岡山地区からの車両で、2000番台は78年に広島地区に配置された生え抜きだった。
JR西日本発足時、山陽本線西部を担当する広島運転所と下関運転所に配置された湘南色の115系は4両編成62本あった。最も多かったのは2000番台の29本(先頭車が0番台を含む)、0番台は18本、300番台は12本で、1000番台はわずか3本と珍しかった。
一般の乗客には同じに見える湘南色の115系だが、各番台はそれぞれ特徴があった。
当時製造から20年前後たっていた0番台は既にベテランの雰囲気で、内装も塗装箇所が多く温かみが感じられた。しかし冷房はなく、夏場は扇風機からの涼しくない風だけで暑かった。
300番台は冷房付きだったが、シートピッチは狭いままで、当時は中途半端な存在に感じた。当時子どもだった筆者には0番台とともに何となく「はずれ」に感じたものだ。
対して1000・2000番台はまだ新しかったせいか、無塗装化が進んだ内装は引き締まって見え、きれいで清潔な印象を受けた。シートピッチが広がって乗り心地も良かった。
国鉄末期の筆者は、山陽本線では115系3000番台が「推し」だったが、湘南色は駅で待っている時に「どの番台が来るかな」という楽しみがあった。
広島・山口地区を走る湘南色の115系にはこの他、先頭車化改造車で急行形の冷房装置を載せた600番台などもあり、実にバラエティー豊かだった。似て非なる115系の各番台。それらは鉄道少年にとってはバリエーションへの興味を広げる、まさに鉄道車両研究の入門形式だった。
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