省エネ電車201系~国電新時代を告げたチョッパの響き

1979年に試作車がデビューし、その後中央快速線に続々投入された201系通勤形電車。将来を見据えたさまざまな新機軸が話題を呼んだが、電機子チョッパ制御が導入された足回りから聞こえる国鉄車両らしからぬ「音」も注目された。

1981年に量産が始まった201系は、当時15年にわたって製造されていた103系に代わる、国鉄通勤形電車の久しぶりのフルモデルチェンジ形式だった。

この間、省エネルギーの機運が高まり、鉄道車両はシステムの効率化に向けた研究開発が進んでいた。営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線の6000系などで実用化された電機子チョッパ制御は国鉄でも試験が行われていて、201系は待望の量産車両だった。

中央快速線に投入されたオレンジ色の201系。外観
ではブラックマスクが目を引いた=東京駅、1989年

チョッパ制御は、架線からの電流の通電・遮断時間を高速で制御してモーターに流れる電流の大きさを変化させるもので、電力を無駄なく使える利点があった。201系ではブレーキをかけたとき、発生した電気エネルギーを架線に戻すようになっていた。

201系のチョッパ制御装置は中間電動車(モハ201形)に搭載されていて、加速・減速時には床下からの「プー」という独特のサウンドが車内に響いた。筆者にとっては既に千代田線で聞き覚えのある音だったが、それが国電で聞けるのが新鮮だった。

乗降ドアも心地良さが感じられ、103系が「プシュッ」と大きな音で閉まり、開くときは少しモッサリしていたのに対し、201系は静かに閉まり、開くときは「パカッ」と素早い動きだった。

関西圏にも83年から投入され、スカイブルー色が
東海道・山陽緩行線を走った=新大阪駅、1993年

201系は80年代を代表する通勤形として期待されたが、財政難だった国鉄にとっては高コストの車両で、量産は1018両で打ち止めになってしまった。

それでも、エポックメーキング的な役割は大きかった。寒色系から暖色系に改めた内装をはじめ、7人掛けの着席位置を明確にしたモケット、前面の窓回りを引き締めたブラックマスクデザインなどは、その後の国鉄車両の模範となった。

新鮮だったチョッパ制御のサウンドも、モーター音が静かな車両が増えてきた現代では逆に懐かしさを感じるようになった。中央快速線から撤退してはや15年。最後まで残っていた関西圏からももうすぐ引退する201系の活躍は、「プー」の響きとともに記憶されることだろう。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンから見た小さな鉄道史を発表しています。
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