1985年12月、新しい湘南電車がベールを脱いだ。20年以上続いた「東海顔」と呼ばれたデザインを改めた211系は、国鉄末期〜JR初期に近郊形電車のニュースタンダードとして注目を集めた。一方で、東海道線東京口では編成数はそれほど増えず、従来の国鉄形車両全てを置き換えるには至らなかった。
211系は大都市圏の中距離輸送用に設計され、60〜70年代に大量増備された113・115系の後継車両として投入された。

ボックス席がある初期編成は6本しか
なく意外にも少数派だった=1990年
軽量ステンレス車体、ボルスタレス台車、界磁添加励磁制御などのメカニズムは、先にデビューした山手線の205系通勤形電車と同一だったが、それらは元々211系に向けて開発されたものだった。
蘇芳色と呼ばれる赤紫の座席を配した客室も明るく開放的だった。初期に登場した0番台は乗客同士が向き合うボックス席があるタイプで真新しさはなかったが、銀色の車体を輝かせたニューフェースは、沿線の利用客や鉄道ファンに強いインパクトを与えた。

筆者が211系を知ったのは月刊誌「鉄道ファン」の誌面で、第一印象は「小田急電車みたいな顔」だった。実際に見たのはデビューから1年が過ぎてからだったが、いざ乗ろうとするとなかなか現れなかった。
211系は「後継車両」という位置付けだったが、東海道線の113系は後期に製造された車両も多かった。正確には把握していないが、おそらく両形式の編成数は5〜6倍ほどの差があったように思う。
211系の運用は、所属基地が異なる113系とは分けられていたであろうから、それが分かればすんなり乗れたはずだが、駆け出しの鉄道ファンには難しかった。いつの頃からか「なかなか乗れない電車」と勝手に思い込むようになっていった。
東京都内で過ごした学生時代には、当時東海道線沿線に住んでいて211系で通勤する叔父をうらやましく思ったものだった。

した211系=横浜—戸塚、1990年
211系は国鉄分割民営化後、JR東日本やJR東海によって増備が続けられたが、混雑緩和の観点からロングシート車が増えていった。東海道線東京口も、セミクロスシートの0番台は初期の6編成にとどまった。211系自体は珍しくなかったが、個人的には登場時に鉄道少年たちの目を輝かせた6本は常に意識する存在だった。
「国鉄形」の113系と「JR形」のE231系以降の形式に挟まれた211系は、やや中途半端な立ち位置だったのかもしれない。しかし、近郊形電車の定義が変わる転換期の形式として橋渡しを担ったように思う。
東海道線東京口を走った211系は今も一部が残っていて、長野地区に移って活躍を続けている。国鉄末期に輝いた銀色の湘南電車は、まもなく車齢40年を迎える。
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