「あさかぜ3・2号」身近な存在だった山陽ローカルブルートレイン

かつて東海道・山陽本線を走った寝台特急の中で、「あさかぜ3・2号」(東京—下関)は九州に乗り入れず広島で後部6両を切り離すなど、一般的には存在感が薄いイメージがある。しかし山口県内では、点在する中小都市を結ぶ「山陽ローカル特急」として身近なブルートレインだった。

夕方の防府駅付近を走るあさかぜ2号=1990年

ブルートレインの第1号として知られる「あさかぜ」だが、それはA寝台車が連なる豪華編成だった博多行きの1往復に対する称号で、1970年に加わった下関止まりの1往復は「分家」のようで、正直あまり目立たない列車だった。

77年に当時最新の24系25形客車に衣替えしたものの、B寝台車のみで構成された編成は、食堂車があった他のブルトレと比べると格落ち感は否めなかった。

朝9時前に小郡駅(現新山口駅)
に到着したあさかぜ3号=1991年

それでも、山口県内では使い勝手の良いブルトレだった。東京出発の時間が一番遅く、翌朝、県央部にはだいたい8時台に到着した。新幹線の駅がない中小都市にこまめに停車し、寝台券を持たず立席特急券で利用できた。「本家」に対し地味に見えた「下関あさかぜ」だが、新幹線の補完列車としては一定の役割があった。

山口県の鉄道少年にとって、「あさかぜ3・2号」は身近なブルトレだった。九州に向かう他の列車より利用しやすく、後部を切り離した身軽な編成には親しみやすさを感じた。学校が終わってから夕食までの間、夕日を浴びて東京に向かう青い車体を見送るのは、暮らしを彩る日常だった。

一路東京へ防府駅を発車したあさかぜ2号=1987年

博多行きの1・4号が94年12月に姿を消すと、以降10年間は旧3・2号が伝統の「あさかぜ」の看板を一身に背負った。その頃には個室A寝台車やラウンジカーが連結されていて、途中広島での切り離しもなくなった。

他のブルトレと遜色ない編成になったが、それでも良い意味で「山陽ローカル」の雰囲気は変わらなかった。今春で廃止から20年。身近を走った「あさかぜ3・2号」は今も心の中を走り続けている。

夕暮れ時の佐波川を渡る晩年のあさかぜ=2005年

※国鉄末期にグレードアップされたあさかぜ1・4号は以下の関連記事にまとめています

※各ブルートレインと山口県内の停車駅の関係を見てみました

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンから見た小さな鉄道史を発表しています。
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