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省エネ電車201系~国電新時代を告げたチョッパの響き
1979年に試作車がデビューし、その後中央快速線に続々投入された201系通勤形電車。将来を見据えたさまざまな新機軸が話題を呼んだが、電機子チョッパ制御が導入された足回りから聞こえる国鉄車両らしからぬ「音」も注目された。 -
103系高運転台車~ステンレス飾り帯のひみつ
国鉄時代に約3500両が製造された103系通勤形電車。1974年にデビューした後期型の高運転台先頭車クハ103形は、国電の顔として親しまれた。特徴的な前面窓下のステンレスの飾り帯は、デザイン上の苦肉の策として入れられたものだった。 -
マイタウン電車・タウンシャトル~九州のヘッドマーク付き電車
北九州・福岡都市圏輸送の主力だった交直流近郊形電車421、423、415系。国鉄末期には東京・大阪の国電並みの15分間隔で運転。「マイタウン電車」と命名されヘッドマークを付けて走った。 -
115系3000番台と0番台 新旧混在編成の変遷
広島・山口地区の山陽本線に1982(昭和57)年にデビューした115系3000番台。快適な転換クロスシートが並ぶ車内は利用者から歓迎されたが、JR初期までは中間車にセミクロスシートの従来車両を組み込んだ編成も存在し、客室設備に「格差」が見られた。 -
四国に渡った111系〜JR草創期を支えたベテラン
国鉄の気動車王国だった四国に電車が走り始めたのは、JRへの移行を1週間後に控えた1987(昭和62)年3月23日だった。翌88年4月10日に瀬戸大橋が開通すると、眺望に優れたグリーン車を連結した快速「マリンライナー」なども登場。電化区間は華やかな雰囲気に包まれた。その中で黙々と働くベテランもいた。新性能直流近郊形の元祖、111系電車だった。 -
京阪神のスター117系〜地方に回った後半生
1980(昭和55)年に発行された「レイル・カレンダー1981」(山と渓谷社)。その年にデビューした京阪神地区の117系近郊形電車が、新幹線や特急、ブルートレインなど当時の看板列車を押しのけて表紙を飾った。さっそうと走る姿を流し撮りでとらえた写真は、期待の新星への注目の高さがうかがえる。 -
本州西端を走る117系の残党~115系3500番台
国鉄時代の1979(昭和54)年、京阪神地区の新快速用として登場した117系電車。今年7月21日に惜しまれつつ定期運行を終了したが、その残党は115系3500番台として本州西端の山口県内で活躍を続けている。 -
115系3000番台〜都市圏輸送を変えた「シティ電車」
国鉄末期の1982(昭和57)年、広島地区に登場した「ひろしまシティ電車」。地方都市で首都圏の国電並みの等間隔・高頻度運転を実現させたもので、「待たずに時刻表なしでも乗れる」便利なダイヤは、各地の都市圏輸送の手本になった。「シティ電車」の運転形態に合わせてデビューしたのが115系3000番台だった。 -
宇部線のクモハ105形500番台〜地下鉄千代田線直通車の転身
地方の電化路線に残っていた茶色の旧形国電の置き換え用として1981(昭和56)年に登場した105系通勤形電車。旅客量に応じて短編成で走れる設計で、主に西日本のローカル線に投入された。同系には常磐緩行線〜地下鉄千代田線を走っていた103系1000番台の改造車500番台のグループもあった。 -
まぶしい存在だった昭和末期の205系
今ではスタンダードとなった軽量ステンレス製の鉄道車両。開発当初は東急電鉄などで見られるだけだったが、国鉄が1985(昭和60)年、205系電車で採用したのを契機に急速に普及した。山手線に投入された銀色の電車は、人々の国電のイメージを一変させた。 -
大都会から山口県に移ってきた103系
1992年6月のJR山陽線防府駅(山口県防府市)。上り列車を待っていると、いつもと同じ瀬戸内色ながら、いつもと違う平べったい顔の電車が現れた。車体の形式名を見ると、なんと東京や大阪を走っていた103系だった。聞き覚えのある独特のドア閉め音とモーター音が鳴り響く。心に衝撃が走った。
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