風光明媚(めいび)な瀬戸内海に沿って走る区間があるJR山陽本線。山口県防府市の富海(とのみ)駅付近には富海海水浴場があり親しまれている。列車を見ながら泳げる海は、地元の鉄道少年たちの夏休みお気に入りのスポットだった。

かぜ」。富海海水浴場は後方に広がる=2005年
富海地区は山陽道の宿場町で、江戸時代は上方に向かう飛船が発着。高杉晋作ら幕末の志士も行き来した。
数多くの歌謡曲の作詞で知られる故有馬三恵子さんの出身地でもあり、南沙織さんや森高千里さんが歌った「17才」の冒頭部分「誰もいない海」は、富海海水浴場をイメージしたものという。

山陽本線の前身、山陽鉄道が三田尻(現防府)まで開業したのは1898(明治31)年で、富海駅もこの時設けられた。
富海海水浴場は歩いてすぐだったから、列車で訪れる人も多かった。かつては広島方面から臨時快速列車が運転された。
1985年を見てみると、快速「光・富海ビーチ」が白市—小郡(現新山口)間で7月21日以降の日曜に3日間ほど運転された。下りは広島を7時57分に発車し、富海に10時20分ごろ到着。上りは富海を14時24分に出て、広島に17時15分ごろに着くダイヤだった。

地元の鉄道少年たちにとっても、列車を見ながら泳ぐ海は夏休みの大きな楽しみで、筆者も友人たちと列車に乗って毎年訪れた。思い出を演出するようなレトロな駅舎から集落を抜けると、すぐに海の家の看板が見えた。
遊泳中には鈍行から貨物列車まで、いろいろとやって来た。トンネルを抜けて東に現れた下り列車は集落にいったん隠れたあと、今度は西に姿を見せ、堤防に沿って防府方面に走り去った。徳山方面に向かう上りも同様で、一つの列車が2回見られた。
ブルートレインでおなじみのEF65形電気機関車がけん引する、カラフルな団体臨時列車などがたまに通るのも面白かった。

眼下に穏やかな海が広がる=2018年
開業から125年が過ぎた富海駅は昨年末、地域交流スペースとして生まれ変わった。白い壁や青い屋根など旧駅舎の雰囲気を受け継ぎ、地域のぬくもりが感じられる新しい建物。令和の子どもたちもここを駆け抜け、夏の思い出を刻んでいくことだろう。昭和の終わりの鉄道少年たちのように。