東京駅10番線。長年にわたり西へ向かう長距離列車が発着してきたホームにたたずむと、寝台特急の本数が激減した今も高揚感を覚える。首都圏と山陰の各都市を結ぶ出雲市行きの「出雲」は国鉄時代の面影が残る貴重なブルートレインだ。近年は鉄道ファンのみならず旅行業界からも注目されるこの列車に乗って、「昭和の夜」をもう一度味わってみた。
21時前、電気機関車EF65 1112にけん引されて「出雲」が入線した。回送列車の最後尾にはもう1両のEF65PF形が連結されており、きょうの「出雲」はその1109号機が京都まで担当する。1112号機の方は、次に出発する大阪行き寝台急行「銀河」となる。東京駅の狭いスペースや時間の関係で、回送列車は一つ後の列車の機関車が行うことになっている。
今回乗車するのは、1981(昭和56)年に初めてブルトレに乗った時の思い出の車両、A寝台個室オロネ25形だ。1泊約1万7千円するこの部屋を選んだのは、25年前と同じ車両でブルトレの思い出に浸りたかったからである。
この出雲用のオロネ25形はほぼ原形を保っていて、国鉄時代と同じ1号車に連結されている。EF65PF形~電源車カニ24形~オロネ25形と続き、中ほどに食堂車オシ24形が入る伝統の編成は、昭和50年代をほうふつとさせる。しかもEF65PF形、24系客車ともかつての東京機関区、品川客車区に現在も常駐しているのは、ファンとしてはうれしい限りだ。
21時10分、「出雲」は東京駅を後にする。終点の出雲市まで13時間44分の旅の始まりだ。車窓を眺めると東京のネオンはまだにぎやかだが、流れゆく夜景はいつも大都会を離れる寂しさを感じさせる。
東京機関区、品川客車区の跡地を過ぎると、品川駅から横浜駅までは京浜東北線の電車と並走する。駅のホームには帰宅する大勢のサラリーマンが並び、車内は混雑している。
一方でこちらは、靴を脱ぎ足を伸ばしてのんびり車窓を眺めている。そういえば、幼い頃は並走する京浜東北線の乗客に無邪気に手を振っていた。「遠くに行くんだ」と、むかしはいつもこの付近でちょっとした優越感に浸ったものだ。
横浜駅を過ぎてから、あらためてA寝台個室を眺めてみる。「独房」などと呼ばれ、登場以来あまり評判の良くないオロネ25形だが、実際にはそれほど狭いわけではない。確かに前方に壁が迫っているから窮屈な感じはあるが、冷静にB寝台と比較したら1人の占有率はなかなかのものだ。天井が高いせいもあり、ベッドに横になると開放感は十分のように思う。
荷物が多かったとき、B寝台下段ではその置き場に困るものだが、その点でもオロネ25形では視界に入らない出入り口付近に置くこともできるし、その上部にある荷物棚も使える。
今でこそ豪華寝台列車があり、それら個室と比較するとオロネ25形は簡素な狭い部屋という評価になる。しかし、そもそも昭和50年代の国鉄にA寝台個室はこの車両しかなく、当時一般的だったB寝台と比較すると、やはりプライバシーが確保されたぜいたくな寝台ということになる。
おやすみ放送が終わると、車内は減光され「夜」となる。窓ガラスに顔を近づけ、知らない町の夜景を眺めて過ごす。下りのブルトレに乗ると、静岡、愛知県内を走っているときは、いつもこうして物思いにふける過ごし方になる。時折、EF65 1109から「ピッ」とホイッスルが聞こえてくるのも旅情を誘う。
この日の「出雲」の乗車率は3割くらいだろうか。車内を歩いてみると、編成の後ろに進むにつれ空っぽの車両がある。平日というせいもあるが、にぎわっていた昭和の夜を思うと寂しいばかりだ。ただ、フリースペースとして活用されている5号車の元食堂車オシ24形では多くの乗客が談笑しており、一瞬だけ往時の活気が頭によぎった。(つづく)
※本稿は2005年に執筆したものです。寝台特急「出雲」は2006年に廃止されました。
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