鉄道少年が見た情景– category –
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関門や九州に定着したEF81形400番台ローズピンクの彩り
関門トンネル専用機として活躍したEF30形の老朽化が進んだ国鉄末期の1986年、後継機として用意された交直流電気機関車EF81形400番台。ステンレス無塗装の銀色からローズピンク色の車体へ—。下関—門司間の鉄道風景は一変し、JRに移行後は九州各線にも足跡を残した。 -
0系6両編成「こだま」 山陽新幹線を変えた元祖「ミニ新幹線」
2025年3月10日に全線開業50周年を迎えた山陽新幹線。当初は東海道区間と一体化された地味な存在感だったが、国鉄末期の1985年に短い6両編成の0系「こだま」が登場。近距離都市間移動のニーズに応えた短い新幹線は、山陽区間の独自性を高め、その後の利便性向上のきっかけとなった。 -
「あさかぜ3・2号」身近な存在だった山陽ローカルブルートレイン
かつて東海道・山陽本線を走った寝台特急の中で、「あさかぜ3・2号」(東京—下関)は九州に乗り入れず広島で後部6両を切り離すなど、一般的には存在感が薄いイメージがある。しかし山口県内では、点在する中小都市を結ぶ「山陽ローカル特急」として身近なブルートレインだった。 -
昔ながらのブルトレスタイル 寝台急行「銀河」のノスタルジア
東海道本線の伝統列車の一つだった寝台急行「銀河」(東京—大阪)。新幹線を補完する夜行列車として長く利用され、晩年には往年のブルートレインらしさを残すことでも人気があった。 -
115系湘南色 バリエーションの楽しみ~JR初期の広島・山口地区
広島・山口地区を走る山陽本線の115系電車といえば、クリーム色に青帯を巻いた瀬戸内色がよく知られているが、JR初期までは一般的な緑とオレンジ色の湘南色が多かった。これらは関東圏から移ってきた初期型から生え抜きの改良型、さらには中間車を先頭車に改造したグループもあり、その豊富なバリエーションは人気だった。 -
老舗の誇りを感じた「博多あさかぜ」国鉄末期のグレードアップ
国鉄末期の1987年春までに、金帯3本を巻いた24系グレードアップ編成に衣替えした東京—博多間の寝台特急「あさかぜ1・4号」(博多あさかぜ)。2人用B個室寝台やシャワールームが設けられ、食堂車など編成単位の内装を一新。快適性を向上させた「老舗ブルートレイン」の変身は大きな話題を呼んだ。 -
九州に渡った181系の先頭車 こだま形の雄姿を伝えた最終章
1958年にデビューし、海道本線黄金期の主役だった「こだま形」151系特急形電車(後に181系に統一)。新幹線開業後は山陽、上信越方面で活躍を続けた。ほとんどの車両が80年代前半には引退したが、車齢が若かった2両は九州に渡り「第二の人生」を送った。 -
関門トンネルで活躍した銀色の機関車〜EF30とEF81 300
東京から九州に向かう寝台特急が毎朝到着し、けん引する電気機関車の交換が行われた下関駅(山口県下関市)。国鉄時代には銀色に輝く関門トンネル専用の機関車が登場した。直流機EF65、EF66形から交直流機EF30、EF81形300番台へのリレーは、ブルートレインの楽しみの一つだった。 -
省エネ電車201系~国電新時代を告げたチョッパの響き
1979年に試作車がデビューし、その後中央快速線に続々投入された201系通勤形電車。将来を見据えたさまざまな新機軸が話題を呼んだが、電機子チョッパ制御が導入された足回りから聞こえる国鉄車両らしからぬ「音」も注目された。 -
九州ブルトレの多くを引き継いだ熊本の車両基地
東京—九州間の寝台特急に使われていたブルートレインの客車は国鉄時代、東京・品川に集中配置されていた。しかし分割民営化を見据えた1986年11月ダイヤ改正で、「はやぶさ」「富士」などは九州側の車両基地に移管された。多くの編成を引き継いだ熊本は一躍、主力拠点となった。 -
山陰本線50系鈍行列車~着飾らない汽車旅
国鉄からJRに変わって1年が過ぎた1988年5月、山陰本線を訪れて50系客車の鈍行列車に乗った。電車や気動車と異なる軽やかな走行音と、客室の窓を開けて眺める日本海。一般形客車ならではの「着飾らない」汽車旅が味わえた。 -
四国を走ったブルートレイン~連絡特急「瀬戸」の本領
東京—宇野(岡山県玉野市)間を走り、本州と四国を結ぶ宇高連絡船に接続していた寝台特急「瀬戸」。1988年4月の瀬戸大橋線開業により高松への乗り入れを果たし、四国連絡ブルートレインとしての本領を発揮した。