広島・山口地区の山陽本線に1982(昭和57)年にデビューした115系3000番台。快適な転換クロスシートが並ぶ車内は利用者から歓迎されたが、JR初期までは中間車にセミクロスシートの従来車両を組み込んだ編成も存在し、客室設備に「格差」が見られた。
広島都市圏で等間隔・高頻度運転を行う「ひろしまシティ電車」の運転開始に合わせて登場した115系3000番台は、当時老朽化していた153系、111系電車を置き換えたが、後者は一部が残ることになった。そのため115系3000番台は4両全てが新造車でそろった編成のほかに、中間車2両に古い車両を組み込んだ編成も現れた。
国鉄末期、115系3000番台はバリバリの新車で、当時子どもだった私にとってもワクワクする存在だった。しかしオール新車の編成と古い車両が入った編成は特に区別されることなく運行されていたようで、乗車する時には当たり外れがあった。
新旧混在編成は最終的には計9本に減って、中間車も111系より新しい115系0番台に変わった。編成両端に入る3000番台の水準に少しでもそろえようと冷房付きになり、外観も同じ瀬戸内色となったが、座席に関してはそのままだった。利用者の立場では快適な方が良いわけで、私はこの不ぞろいの編成が現れると乗車位置を中間車から先頭車に変えていた。
その後90年代になって、115系3000番台に近い客室設備だった京阪神地区の117系電車に余剰が出ると、115系新旧混在編成の中間車を入れ替えることになった。
編成から外された115系0番台は早いものでは94年に廃車されたが、他の編成に移って2000年代まで活躍した車両もいた。
ただ不ぞろいが完全に解消されたわけではなく、組み替え対象から外れた新旧混在編成もあった。これに組み込まれた3000番台は実質的には同番台の扱いを受けていなかったようで、早期に引退してしまったのはちょっと不運だった。
新旧混在の編成は紆余(うよ)曲折を経て、最終的に117系改造の115系3500番台が組み込まれたことで客室設備がそろえられた。一方で、番台区分としては結局「3000」でそろうことがなかったのが、国鉄末期の影響を残しているようで興味深い。今も活躍を続ける3500番台の編成からは、40年前の歴史の一端を垣間見ることができる。
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