マイタウン電車・タウンシャトル~九州のヘッドマーク付き電車

北九州・福岡都市圏輸送の主力だった交直流近郊形電車421、423、415系。国鉄末期には東京・大阪の国電並みの15分間隔で運転。「マイタウン電車」と命名されヘッドマークを付けて走った。

地方都市圏で等間隔・高頻度運転を行う「シティ電車」は、広島地区での成功を受けて各地に広がった。北九州・福岡でも1984(昭和59)年2月のダイヤ改正から、このダイヤが組まれた。

小倉駅に停車中の421系「マイタウン電車」。ヘッ
ドマークには梅とひまわりも描かれていた=1984年

「あずき色」の車体に黄色いヘッドマーク—。九州の交直流電車は、本州の緑とオレンジの「湘南色」に見慣れた鉄道少年には新鮮だった。

黄色が警戒色のせいか、特に先頭車両のヘッドマークは強い印象を与えた。鉄道利用者や沿線住民に対する「シティ電車」の周知効果は、十分にあったことだろう。

JRに移行後は「タウンシャトル」に改称。当初は青
系のヘッドマークだった。写真は山陽本線に乗り入
れた415系1500番台=小郡(現新山口)駅、1988年

「マイタウン電車」はJRになると「タウンシャトル」に改称された。その後、ヘッドマークのデザインは白系の爽やかなものとなった。421、423、415系も国鉄末期から順次「白電」「九州色」と呼ばれる塗色にイメージチェンジしていたから、すっきりした組み合わせになった。

白をベースにした塗色に変わった423系。
「タウンシャトル」のヘッドマークは複数
のタイプが存在した=小郡駅、1992年

一方で同系色で収まりが良かったせいか、「タウンシャトル」を周知する意味合いは弱まったように見えた。等間隔・高頻度という「シティ電車」の運転形態はその頃すでに定着していて、ヘッドマークは装飾的な役割の方が強くなっていたのかもしれない。

現在は見られなくなった九州の「マイタウン電車」「タウンシャトル」のヘッドマークは、地方都市圏輸送の変遷を象徴するようなアイテムだった。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から見た小さな鉄道史を発表しています。
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