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関門や九州に定着したEF81形400番台ローズピンクの彩り
関門トンネル専用機として活躍したEF30形の老朽化が進んだ国鉄末期の1986年、後継機として用意された交直流電気機関車EF81形400番台。ステンレス無塗装の銀色からローズピンク色の車体へ—。下関—門司間の鉄道風景は一変し、JRに移行後は九州各線にも足跡を残した。 -
「あさかぜ3・2号」身近な存在だった山陽ローカルブルートレイン
かつて東海道・山陽本線を走った寝台特急の中で、「あさかぜ3・2号」(東京—下関)は九州に乗り入れず広島で後部6両を切り離すなど、一般的には存在感が薄いイメージがある。しかし山口県内では、点在する中小都市を結ぶ「山陽ローカル特急」として身近なブルートレインだった。 -
昔ながらのブルトレスタイル 寝台急行「銀河」のノスタルジア
東海道本線の伝統列車の一つだった寝台急行「銀河」(東京—大阪)。新幹線を補完する夜行列車として長く利用され、晩年には往年のブルートレインらしさを残すことでも人気があった。 -
老舗の誇りを感じた「博多あさかぜ」国鉄末期のグレードアップ
国鉄末期の1987年春までに、金帯3本を巻いた24系グレードアップ編成に衣替えした東京—博多間の寝台特急「あさかぜ1・4号」(博多あさかぜ)。2人用B個室寝台やシャワールームが設けられ、食堂車など編成単位の内装を一新。快適性を向上させた「老舗ブルートレイン」の変身は大きな話題を呼んだ。 -
関門トンネルで活躍した銀色の機関車〜EF30とEF81 300
東京から九州に向かう寝台特急が毎朝到着し、けん引する電気機関車の交換が行われた下関駅(山口県下関市)。国鉄時代には銀色に輝く関門トンネル専用の機関車が登場した。直流機EF65、EF66形から交直流機EF30、EF81形300番台へのリレーは、ブルートレインの楽しみの一つだった。 -
九州ブルトレの多くを引き継いだ熊本の車両基地
東京—九州間の寝台特急に使われていたブルートレインの客車は国鉄時代、東京・品川に集中配置されていた。しかし分割民営化を見据えた1986年11月ダイヤ改正で、「はやぶさ」「富士」などは九州側の車両基地に移管された。多くの編成を引き継いだ熊本は一躍、主力拠点となった。 -
四国を走ったブルートレイン~連絡特急「瀬戸」の本領
東京—宇野(岡山県玉野市)間を走り、本州と四国を結ぶ宇高連絡船に接続していた寝台特急「瀬戸」。1988年4月の瀬戸大橋線開業により高松への乗り入れを果たし、四国連絡ブルートレインとしての本領を発揮した。 -
東京と地方をつないだブルトレ~山口県内の停車駅振り分け
かつて東京駅から一晩かけて東海道・山陽本線を走ってきたブルートレインは、山口県内で朝を迎えた。岩国から下関まで中小地方都市が点在する同県。新幹線を補完する役割もあった各列車は停車駅を振り分けていた。 -
元東京機関区のEF65PF ~60.3改正後も続いた下関運用
昭和60年3月のダイヤ改正で東海道・山陽本線の主要寝台特急から撤退した東京機関区のEF65形1000番台(PF形)。主役の座をEF66形に譲ったが、本州西端の下関まで足を延ばす広域運用は後年まで続いた。 -
九州ブルトレED76形の魅力〜59.2改正で復活したヘッドマーク
東海道・山陽路を1000㌔以上走ってきた寝台特急は、九州に入ると赤い交流電気機関車の出番となる。東京から見ると末端区間で、ヘッドマークも外され地味な印象だったが、1984(昭和59)年2月のダイヤ改正でヘッドマークが復活すると一転、注目度が一気に高まった。 -
防府駅西の小さな踏切~高架化で鉄道広場になった旧本線
JR山陽本線防府駅(山口県防府市)のすぐ西側に、かつて地域住民に親しまれた小さな踏切があった。1994年の鉄道高架化とともに姿を消したが、周辺は防府市と徳地町(現山口市)を結んだ防石鉄道(64年廃止)の記念広場として整備されている。 -
流れ星マークを付けたEF66形~ブルトレ専用機の証し
国鉄末期の1985(昭和60)年3月からブルートレインで活躍したEF66形電気機関車。「あさかぜ」「はやぶさ」など伝統列車のヘッドマークを掲げた姿は多くのファンを魅了したが、JR移行後にもう一つ、ブルトレ専用機としての象徴的なアイテムが添えられた。運転席窓下、車体側面にあった「流れ星マーク」だ。
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