昭和60年3月のダイヤ改正で東海道・山陽本線の主要寝台特急から撤退した東京機関区のEF65形1000番台(PF形)。主役の座をEF66形に譲ったが、本州西端の下関まで足を延ばす広域運用は後年まで続いた。
東京機関区のEF65PF形は60.3ダイヤ改正前まで、ブルートレインの「顔」として「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ1・4号」「あさかぜ3・2号」で東京—下関、往復2200㌔をこなすハードな運用をメインに充当されていた。
それが改正後は一変し、定期列車で下関まで入線する運用は、新大阪発着の「彗星」のみとなった。「出雲」2往復のほか「瀬戸」、寝台急行「銀河」「ちくま」など、東海道・山陽筋での活躍は続いていたものの、岡山以西で見られる機会は格段に減ってしまった。
関西ブルトレの「彗星」は、上りの下関発が23時39分、下りは4時38分着(1990年代前半)と、山口県内では完全に深夜帯にかかっていた。子どもの鉄道ファンが接するには極めてハードルが高い列車だった。
私が以前住んでいた防府市では、上り「彗星」の通過が午前1時頃。友人らと大みそかから夜通しで日本三天神の一つ、防府天満宮へ初詣に向かう時が年に一度のチャンスだった。しかし神社のにぎわいから外れた線路沿いは暗く、元東京機関区(当時は田端運転所に所属)のEF65PF形を捉えるのは難しかった。
そんな中、「カートレイン九州」は貴重な列車だった。年末年始や春休みなどに決まって運転され、元東京機関区のEF65PF形が三日月を描いたヘッドマークを掲げてさっそうと現れた。
下りは「あさかぜ1号」の15分くらい前を走っていて、撮影にもちょうどよかった。小郡駅(現新山口駅)では短時間停車し、機関車を間近で堪能できた。
元東京機関区のEF65PF形は、70年代後半から80年代前半にかけてブルトレファンになった鉄道少年には憧れの存在だった。
同型機は貨物列車でも見られるし、下関にも配置されていたが、生え抜きの特急機として残っていた1098〜1116号機あたりはなぜかオーラが違った。そう感じたのは強い思い入れがあったためだろうか。
元東京機関区のEF65PF形の下関乗り入れは 、2000年3月に「彗星」の単独運転終了まで続いた。その後はまれにEF66形が故障した際の救援で「あさかぜ」などに入る程度となった。
九州ブルトレ最晩年の2008年12月、鹿とぶつかって損傷したEF66 46に代わってEF65 1107が「富士・はやぶさ」に充当された。
沿線風景もヘッドマークのデザインもずいぶん変わっていたが、青い客車を従えたその存在感は、往時と何ら変わることはなかった。
※ブルトレ主役交代の思い出は、以下の記事にまとめました
※姉妹ブログ「れきてつ」にも関係記事があります