国鉄からJRに変わり各地でニューフェースが登場する中、貨物列車でも新しい電気機関車が1989年にデビューした。東海道・山陽本線にはEF66形100番台が走り始め、これまでにないフレッシュな外観は貨物のイメージアップに貢献した。
JR貨物は発足後、好景気もあって輸送量が好調に推移した。列車の増発や長編成化を図るため電気機関車を新造することになり、工期が短縮できる既存のEF66形、EF81形、ED79形に改良を加える形で対応した。
東海道・山陽向けに登場したEF66形100番台は同形としては14年ぶりの製造となり、機器類を中心に仕様変更が行われた。外観は前面が曲線形状となり、JR貨物のイメージカラーを採用した青のツートンとライトグレー系の装いは、とても軽快な印象だった。
最初の8両はライトが丸形だったが、2次車以降はガラスカバーが付いた角形に変わり、精悍(せいかん)な顔つきになった。その表情とやや尖った鼻先からか、ファンの間では後に「サメ」などと呼ばれたが、なかなか言い得て妙だった。
私が初めてEF66形100番台を見たのは89年の夏休みだった。JR防府駅西側の線路沿いを自転車で走っていたら、前方から鉄道雑誌で見覚えのある新型機がどんどん近づいてきた。
その頃は貨物列車のことをよく知らず、「100番台は東海道本線の機関車」と勝手に思い込んでいたからその遭遇は驚きで、急いでカメラを取り出してシャッターを切った。
その軽快なフォルムは、「真の新型機」として現れた後年のEF200形やEF210形を見た時よりも強いインパクトを感じた。
EF66形100番台はその後133号機まで増え、マイナーチェンジとしては多い製造数となった。一方で、基本設計は「国鉄型」だったため、全てを一新した「JR型」が登場するとやや中途半端な存在になってしまった。
それでも最近は「JR第1世代」の車両が懐かしい対象となり、人気のEF66形0番台の陰に隠れていた100番台にもスポットが当たっている。デビューから35年。平成初期のエース貨物機はその数を減らしつつ、最後の活躍を続けている。