2023年5月– date –
-
乗らなかった20系客車への憧憬
2015年まで60年近くにわたって親しまれたブルートレイン。「象徴」といえば20系客車になるだろう。一時代を築いたが、80年代になるとその後登場した車両と比べて見劣りするようになり、「急行」として運転されるケースが増えていた。 -
大人への階段だった食堂車
かつては長距離優等列車の華として食堂車が連結されていた。昭和末期から平成初期にはずいぶん減っていたが、まだ東京—博多直通の新幹線などには連結されていて、ビジネスマンは「戦士の休息」の場として、旅行者は非日常が味わえる空間として機能していた。 -
まぶしい存在だった昭和末期の205系
今ではスタンダードとなった軽量ステンレス製の鉄道車両。開発当初は東急電鉄などで見られるだけだったが、国鉄が1985(昭和60)年、205系電車で採用したのを契機に急速に普及した。山手線に投入された銀色の電車は、人々の国電のイメージを一変させた。 -
九州最古の木造駅舎・油須原駅〜往時の鉄道の面影を求めて
福岡県筑豊地方の3路線を引き継ぎ1989年に開業した平成筑豊鉄道。四季に彩られる田園風景は多くのカメラマンを魅了し、石炭輸送時代の歴史遺産も多く残ることから鉄道ファンの注目も集めている。2022年に復元改装され地域交流拠点に活用されている九州最古の木造駅舎、油須原駅を訪ねてみた。 -
グランドひかり さよなら運転(2002年)
食堂車を含む2階建てを4両連結し、東海道・山陽新幹線を代表する列車として約13年間にわたって活躍した「グランドひかり」が、2002年11月23日の「さよなら運転」を最後に引退した。新幹線の高速化などの影響を受けた形だが、眺望に優れた食堂車が人気だった名列車の退役を惜しむ声は多い。 -
大都会から山口県に移ってきた103系
1992年6月のJR山陽線防府駅(山口県防府市)。上り列車を待っていると、いつもと同じ瀬戸内色ながら、いつもと違う平べったい顔の電車が現れた。車体の形式名を見ると、なんと東京や大阪を走っていた103系だった。聞き覚えのある独特のドア閉め音とモーター音が鳴り響く。心に衝撃が走った。 -
ブルートレイン出雲の旅路2(東京—出雲市 2005年)
「出雲」は京都から山陰線に入り、ディーゼル機関車DD51形が終点の出雲市までけん引する。翌朝、香住到着前のおはよう放送で目を覚ました。7時すぎに名所・余部鉄橋を通過。高さ41㍍からの眺めは空中散歩をしているような感覚だ。 -
ブルートレイン出雲の旅路1(東京—出雲市 2005年)
首都圏と山陰の各都市を結ぶ出雲市行きの「出雲」は、現在も国鉄時代の面影が残る貴重なブルートレインだ。近年は鉄道ファンのみならず旅行業界からも注目されるこの列車に乗って、「昭和の夜」をもう一度味わってみることにした。 -
鉄道のまち小郡の扇形車庫
山口県の玄関口・JR新山口駅。2003年9月までは「小郡駅」と称していた。鉄道のまちとして発展した小郡の象徴は扇形車庫だった。転車台を囲むように設けられたSL全盛期をしのぶ大きな建築物で、役目を終えたあとも十数年間残っていた。
1