2015年まで60年近くにわたって親しまれたブルートレイン。ヘッドマークを掲げたEF65形電気機関車、北の大地に直通した「北斗星」…人々が抱くイメージはさまざまだが、「ブルトレの象徴」といえば20系客車になるだろう。
1958(昭和33)年にデビューした20系は、曲面ガラスを使った優美なデザインと、空調装置を設けた居住性の良さから「走るホテル」と呼ばれた。特にA寝台個室を連ねた「あさかぜ」は出世列車としても名高かった。
そうして一時代を築いた20系だったが、80年代になるとその後登場した車両と比べて見劣りするようになり、食堂車や個室寝台車を外して「急行」として運転されるケースが増えていた。
ブルトレブーム後に発刊された子ども向けの鉄道書籍でも、「脇役」に転じた20系は扱いが小さくなっていた。当時小学生だった私には「昔のブルトレ」のイメージが強く、最後尾のナハネフ22形は優美さよりも「おでこ」の汚れの方が気になった。
のちに内外装を改めた団体向けの「ホリデーパル」なども登場したが、どんなにリフレッシュしようが「20系=古い」は変わらなかった。
一方で、鉄道ファンの間では20系は絶大な人気を誇った。ブルトレを取り上げた書籍は、時代をつくった名車の歴史的功績を紹介し、省力化に徹した後継の24系にはない魅力を伝えていた。
私もそうした出版物の影響から、20系への興味が少しずつ湧いてきた。しかし、ブルトレは子どもが気軽に乗れるものではなく、数少ないチャンスにはどうしても、小さい頃から好きな「現行型」24系25形の列車を選んでいた。
身近を走っていた「あさかぜ1・4号」が87年ごろにグレードアップされ、シャワールームやレトロ調食堂車など新たな魅力が備わると、もう3段式で幅52㌢と狭いベッドの20系に乗る気は起こらなくなった。
20系への憧憬が強まったのは、ブルトレへの理解が深まり時代背景を含めて見るようになってからだった。24系がどんなにグレードアップ改造を施しても超えられないものが、確かにこの名車にはあったように思う。
20系の良さをそのまま受け継いだブルトレが現れなかったのは、当時の国鉄が置かれた状況を考えると仕方がなかったが、もしその系譜が続いていればどんな看板列車に育っていただろう—。気品あふれる優美な姿は、そうした想像を今もかき立てる。
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