1938(昭和13)年に製造され、東海道本線を中心に特急「富士」「つばめ」「はと」などで活躍した一等展望車マイテ49 2。61年の引退から四半世紀、国鉄分割民営化を控えた87年に本線復帰した。JR山口線の観光列車SLやまぐち号にも連結。懐かしさと気品にあふれる姿は大きな話題を呼んだ。
山口線での運行を始めたのは87年6月。乗車率が特に落ち込んでいた梅雨期のSLやまぐち号のテコ入れが目的だった。6日に小郡駅(現新山口駅)で展示され、翌7日からオハフ33 48など他の旧型客車3両とともに営業列車として走った。
JR西日本は宣伝に力を入れた。オレンジカードを発売したほか、記念乗車券やしおりなども配布。マスコミ各社は往年の名車をこぞって報道した。最終日の28日にはけん引するC57形1号機とC56形160号機の重連運転も実現し、山口線は熱気にあふれた。
マイテ49 2が国鉄最後の87年3月31日に「旅立ちJR西日本号」として運転された時、既に「歴史」と化していた博物館展示車両の復活劇にとても驚かされた。
いつか見てみたいと思っていたところ、早々に地元のSLやまぐち号に連結されると知った時は大喜びした。展示会の日は中学校の部活動があったが、迷うことなく小郡駅に向かった。
初めて接したマイテ49 2は、気品に満ちあふれていた。当時はジョイフルトレインブームで多彩な展望車が登場していたが、戦前からの「正統派」は別格だった。乗車できたのはその年の終わり頃だったが、「タタタン、タタタン」という3軸ボギーの走行音が実に心地良かった。
SLやまぐち号に使われていた12系客車は88年に「レトロ客車」に改造され、展望デッキが設けられた。さらに現在の35系客車は往年の旧型客車を復刻した新製車両で、やはりマイテ49 2を参考にした展望車が用意されている。
87年6月のマイテ49 2の起用は集客のためのイベント的な要素が強かったが、機関士、車掌、駅長が昔の制服を着るなどサービス面にも目が向けられた。その後のSLやまぐち号で展開される「レトロ」演出の流れをつくった1カ月だった。