みんなブルトレが好きだった

懐かしい青い車体が久々にスポットライトを浴びた。2015年に引退した寝台特急「北斗星」の客車を活用したゲストハウスが2022年4月22日、北海道北斗市にオープンした。現役時代の設備をほぼそのまま使えることが売りだという。

「かつて乗車した人に思い出をよみがえらせる場所になれば」

運営会社の沢田導俊さんの話を新聞で目にして、夜行列車の思い出がよみがえってきた。

朝の瀬戸内海沿いを走る「あさかぜ」=2004年

青い客車編成から「ブルートレイン」と呼ばれた寝台特急は、旅を楽しめる要素が多かった。東京駅から九州方面に向かう列車では、ホームに並ぶ通勤客に見送られ、ちょっと優越感に浸って出発。深夜、布団にもぐりながら知らない街を眺める非日常感を味わい、翌朝は食堂車で車窓に広がる朝焼けの瀬戸内海とともに朝食をとった。

一期一会の乗客との会話も弾んだ。最近のクルーズトレインのようなお金をかけた演出がなくても、自然なかたちで豊かな旅情が味わえた。

夜の横浜駅に停車中の「出雲」=2006年

蒸気機関車(SL)が全廃された後の昭和50年代前半にブームが起きた。列車名をデザインしたヘッドマークを付けたEF65形電気機関車は当時の鉄道少年の憧れで、「さくら」「はやぶさ」など人気列車が発着する東京駅は、カメラを持った子どもたちであふれた。ブルトレ関連の書籍も多く発行され、ブームを後押しした。

「富士」をけん引するEF65形電気機関車=1984年

ブルトレブームは当時の小学生の持ち物にも波及した。私は当時、東京発着列車が通る山口県で暮らしていた。昭和50年代後半になるとブームは落ち着きを見せていたが、それでもクラスに何人かは鉄道好きの少年がいた。

筆箱や鉛筆などの文房具は、皆がブルトレデザインのものを競うようにそろえ、機関車交換が行われる「聖地」下関駅に行って写真を撮っては、互いに見せ合っていた。

「早朝にやって来るブルトレを見たい」

日曜の朝は、学校に行くときには苦手の早起きを難なくこなし、親を呆れさせたこともあった。高校生の頃には通学時間に博多行きのあさかぜ1号がやって来たので、登校するモチベーションの維持にもなった。

早朝の小郡(現新山口)駅に
着く「はやぶさ」=1990年

ブルトレを純粋に追いかけた日々はかけがえのない思い出だ。その「魔法」は40年近くの年月が流れて列車がなくなっても解けることはない。当時鉄道少年だった全ての人たち心に、思い出の青い列車は走り続ける。


※本稿はブログ「わが心の鉄路」から移したものです。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から見た小さな鉄道史を発表しています。

コメント

コメントする

目次