国鉄末期、山陰本線松江駅で見た旧型客車の記憶

1985(昭和60)年8月、松江駅(島根県)で寝台特急「出雲1号」と急行「さんべ」を撮った時、くすんだ青色の鈍行列車を見かけた。貫通扉がなくむき出しの最後尾、車体中央には「出雲市行」と書かれたサボと呼ばれる行き先板を付けていた。当時山陰本線に残っていた旧型客車だった。

旧型客車は日本の鉄道の気動車・電車化が進展する前に主力だった車両で、かつては全国各地で見られた。国鉄末期にもわずかに残っていて、山陰本線もそのうちの一つだった。私が接したのは引退が近づいた頃で、古き良き時代を伝える姿や車両の形態差が注目されていた。

松江駅で見かけた旧型客車。武骨な
外観と扉のない最後尾に衝撃を受けた

当時の私は写真を撮り始めたばかりの駆け出しの鉄道少年だった。子どもだったせいかブルートレインなどの人気列車ばかりを追いかけていて、山陰本線を訪れた目的もディーゼル機関車がけん引する「出雲」だった。

ところが、朝の松江駅で見た旧型客車は衝撃的だった。特に貫通扉のないむき出しの最後尾は、乗ってみると足元の線路まで丸見えなのが新鮮でもあり、少し怖くもあった。普段はスマートな電車に親しんでいた分、この「老兵」はとても印象的で、私の心の中では、その日主役だったはずの「出雲」を食う存在感だった。

山陰本線の旧型客車は国鉄最後のダイヤ改正を控えた86年10月末まで走っていたようだ。その後は一部がイベント列車用として残り、復活した戦前の1等展望車「マイテ49 2」と編成を組んでいたが、注目はどうしても華があるマイテ49形に集まっていたように思う。

しかし、固定編成でない一般形客車は1両1両に「個性」があり、武骨なスタイルからはただ古いだけでない、昭和の鉄路の郷愁とぬくもりが感じられる。

古き良き時代のぬくもりを感じる旧型客車(写真
は北九州市門司港で展示されているオハフ33 488)

※姉妹ブログ「れきてつ」では、今回の旧型客車を鉄道趣味目線で取り上げてみました

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から見た小さな鉄道史を発表しています。
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