昭和50年代 特急有明に連結された「ビデオカー」

昭和50年代後半、九州を代表する特急「有明」の一部列車に「ビデオカー」という車両が連結されていた。編成端に組み込まれた自由席の車両で、大型スクリーンで郷土芸能や観光案内などのビデオをエンドレスで放映していた。


当時の「有明」は国鉄特急の主力485系を使用。ビデオカーは初期のボンネットタイプの先頭車4両(クハ481-33、35、37、39)を改造したものだった。


客室の前寄りに大型スクリーンを、天井部に映写機をそれぞれ設置。その背後に室内灯を遮光するカーテンを取り付け、座席は後ろほど床を高くするなど、映像を見えやすくする工夫がされていた。


個人的には、出入り口の横にある「ビデオ特急」のマークが印象的だった。ただ、子どもだった当時は乗車しても車窓に夢中で、鉄道以外の映像を流すビデオカーに足が向くことはなかった。面白いサービスだったので少しでも見学しておけば…と、今になって後悔している。

「有明」のビデオカーの乗降ドアには
ビデオ特急のマークが貼り付けられ、
乗客の目を引いた=博多駅、1984年

実際のビデオカーはどんな様子だったのだろうか。当時の雑誌「鉄道ジャーナル」1983年1月号を見ると、博多駅の改札口付近には当月分の連結列車の案内が掲出され、長崎・島原の観光ガイドや菊池温泉(熊本県)の名物料理を紹介するビデオが放映されていたようだ。


同誌には「ほかの自由席よりいくぶん席が埋まっている」「半開きのカーテンが多いせいか(画面の)色合いがよろしくない」と、レイルウェイ・ライター種村直樹さんの感想が書かれている。


子ども向けの書籍では「走りながら映画が見られるビデオ・カーも有明の自慢」(「最新版 特急大百科」勁文社、1981年)など、「走る映画館」として強調されていた。


だが、九州の主要都市を結ぶ「有明」はこまめに停車し乗客が入れ替わるタイプの列車も多かった。そうしたことから、実際のプログラムは放映時間が短い観光案内が主体だったかもしれない。それでも多くの書籍・雑誌には「乗客に好評」とあり、常連客は一定数いたのではないかと思う。

「有明」のビデオカー。初期ボンネットタイプの
クハ481形4両が改造された=博多駅、1984年

ビデオカーは「有明」全体には広がらず、そのサービスは放映設備を持った車両ありきのものだった。昭和60年3月のダイヤ改正でこの4両が「有明」から撤退し、ひっそりと消えてしまったのは残念だった。


「有明」のビデオカーは結果的に中途半端なものになったが、多様なサービスを展開したJRを先取りしたような試みだったように思う。全列車に連結し「商品」としてもっと周知されていたら、きっと違った展開になったことだろう。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から見た小さな鉄道史を発表しています。

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