急行「火の山」と阿蘇観光

1984(昭和59)年の夏、熊本駅から豊肥本線の急行「火の山」で阿蘇に向かった。大分・別府方面には当時4本運転されていたが、朝9時半ごろ出発する1号は観光客も多く混雑していた。

立野のスイッチバックを越えて阿蘇のカルデラに入ると、「火の山」の車窓には雄大な景色が広がる。知らない土地を進むローカル線の旅は新鮮だった。

熊本駅で発車を待つキハ58系急行「火の山」。
ホース類などが並ぶ無骨な「顔」は新鮮だった

ただ、華やかなブルートレインが走る沿線に住んでいた駆け出しの鉄道ファンには、キハ58系の急行列車は地味に映った。特に阿蘇からの帰路、大分駅までの2時間は座りっぱなしで、ちょっと退屈だった。

そんな気持ちになったのは、阿蘇山を存分に楽しんだ後だったからかもしれない。阿蘇駅からバスに乗って草千里ケ浜や火口方面へグングン登った。一面に広がる草原や荒涼とした火口周辺…そんな非日常の景観に息をのんだ。

この頃から親のカメラを借りて持ち歩いていたが、列車以上に夢中でシャッターを切った。

小さな洋風の駅舎が印象的だった阿蘇駅。
1918(大正7)年の開業時からの建物で、
改装を繰り返しながら現在も残っている
噴煙を上げる阿蘇山の中岳第一火口

その後、国鉄からJRに変わると、阿蘇に向けて観光列車が走り始めた。88年からは大正生まれのクラシカルな8620形蒸気機関車が引く「SLあそBOY」が、現在は親子の鉄道旅をテーマにした特急「あそぼーい!」などが運転されている。

阿蘇駅前には道の駅もあるなどいろいろと楽しめ、かつての地味な「火の山」の旅路を思うと隔世の感がある。

スイッチバックを下ってきて立野駅で
小休止する「SLあそBOY」=2005年
特急「あそぼーい!」の親子シート=2011年

その間、鉄道を取り巻く環境はずいぶん変わった。地方空港や高速道路の整備が進んだ今では、阿蘇もマイカーやレンタカーで訪れる人がさらに増えたことだろう。

それでも鉄道で巡るのはメリハリがあって楽しい。40年近く前の私の阿蘇旅行では、当時愛読していた漫画「キャプテン翼」の最新刊を駅売店で見つけ、大分駅に向かう「火の山」を待つ間、じっと読んでいたことまで覚えている。

目的地へピンポイントで行かない鉄道の旅は、駅での乗り換えや待ち時間の些細なことさえも思い出になる。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から見た小さな鉄道史を発表しています。

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