鉄道少年が見た情景– category –
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EF66形100番台~貨物機のイメージを変えたJR第1世代機
国鉄からJRに変わり各地でニューフェイスが登場する中、貨物列車でも新しい電気機関車が1989年にデビューした。東海道・山陽本線にはEF66形100番台が走り始め、これまでにないフレッシュな外観は貨物のイメージアップに貢献した。 -
陰陽連絡の一翼を担ったキハ181系特急「おき」
山陽新幹線に接続する小郡(現新山口)から山口線を通って、山陰本線の米子、鳥取まで走った特急「おき」(現スーパーおき)。キハ181系気動車の短い編成だったが、陰陽連絡列車としての役割は大きかった。 -
「雷鳥」と北陸本線~特急街道の記憶
1985(昭和60)年5月、北陸本線のエースだった特急「雷鳥」に乗った。京都・新大阪駅と加賀温泉駅(石川県加賀市)を往復する約4時間。当時の国鉄を代表する「特急街道」を満喫した。 -
SLやまぐち号で走った一等展望車マイテ49 2~レトロ演出の先駆け
1938(昭和13)年に製造され、東海道本線を中心に特急「富士」「つばめ」「はと」などで活躍した一等展望車マイテ49 2。61年の引退から四半世紀、国鉄分割民営化を控えた87年に本線復帰した。JR山口線の観光列車SLやまぐち号にも連結。懐かしさと気品にあふれる姿は大きな話題を呼んだ。 -
元東京機関区のEF65PF ~60.3改正後も続いた下関運用
昭和60年3月のダイヤ改正で東海道・山陽本線の主要寝台特急から撤退した東京機関区のEF65形1000番台(PF形)。主役の座をEF66形に譲ったが、本州西端の下関まで足を延ばす広域運用は後年まで続いた。 -
配給列車6590レ・6591レ~どんな車両がつながってる?
鉄道会社内において車両や部品などの社用品を運ぶ配給列車。かつて山口、広島両県の山陽本線を走っていた配6590レと配6591レはブルートレインの電気機関車EF65形1000番台(PF形)がけん引し、下関・幡生の工場に入出場するいろいろな車両が見られる楽しみがあった。 -
九州ブルトレED76形の魅力〜59.2改正で復活したヘッドマーク
東海道・山陽路を1000㌔以上走ってきた寝台特急は、九州に入ると赤い交流電気機関車の出番となる。東京から見ると末端区間で、ヘッドマークも外され地味な印象だったが、1984(昭和59)年2月のダイヤ改正でヘッドマークが復活すると一転、注目度が一気に高まった。 -
115系3000番台と0番台 新旧混在編成の変遷
広島・山口地区の山陽本線に1982(昭和57)年にデビューした115系3000番台。快適な転換クロスシートが並ぶ車内は利用者から歓迎されたが、JR初期までは中間車にセミクロスシートの従来車両を組み込んだ編成も存在し、客室設備に「格差」が見られた。 -
国鉄末期、山陰本線松江駅で見た旧型客車の記憶
1985(昭和60)年8月、松江駅(島根県)で寝台特急「出雲1号」と急行「さんべ」を撮った時、くすんだ青色の鈍行列車を見かけた。貫通扉がなくむき出しの最後尾、車体中央には「出雲市行」と書かれたサボと呼ばれる行き先板を付けていた。当時山陰本線に残っていた旧型客車だった。 -
防府駅西の小さな踏切~高架化で鉄道広場になった旧本線
JR山陽本線防府駅(山口県防府市)のすぐ西側に、かつて地域住民に親しまれた小さな踏切があった。1994年の鉄道高架化とともに姿を消したが、周辺は防府市と徳地町(現山口市)を結んだ防石鉄道(64年廃止)の記念広場として整備されている。 -
小郡にいた2軸無蓋車トラ145260
2004年8月、JR新山口駅(旧小郡駅)に隣接する車両基地でイベントが開かれた。主役はSLやまぐち号の蒸気機関車C57形やブルートレインけん引機EF65、EF66形だったが、一緒に並んでいた古びた貨車に目が留まった。木材も使われた黒光りした渋い外観。旧国鉄時代からの2軸無蓋車、トラ45000形だった。 -
人気を集めたオレンジカード~キャッシュレスの先駆け
きっぷが買えるカードとして国鉄末期に登場した「オレンジカード」。対応する自動券売機が全国の主要駅に設置され、キャッシュレスの利便性と真新しさから急速に普及した。絵柄の種類も豊富で収集対象としても人気を集めた。