鉄道少年が見た情景– category –
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115系3000番台〜都市圏輸送を変えた「シティ電車」
国鉄末期の1982(昭和57)年、広島地区に登場した「ひろしまシティ電車」。地方都市で首都圏の国電並みの等間隔・高頻度運転を実現させたもので、「待たずに時刻表なしでも乗れる」便利なダイヤは、各地の都市圏輸送の手本になった。「シティ電車」の運転形態に合わせてデビューしたのが115系3000番台だった。 -
宇部線のクモハ105形500番台〜地下鉄千代田線直通車の転身
地方の電化路線に残っていた茶色の旧形国電の置き換え用として1981(昭和56)年に登場した105系通勤形電車。旅客量に応じて短編成で走れる設計で、主に西日本のローカル線に投入された。同系には常磐緩行線〜地下鉄千代田線を走っていた103系1000番台の改造車500番台のグループもあった。 -
山陽本線の名所・四郎谷の入り江
山陽本線に乗ったときの楽しみは車窓に広がる瀬戸内海。東京駅からの寝台特急で朝を迎えたときの、陽光を受けてキラキラと輝く景色は印象的だ。山口県周南市から防府市にかけての戸田—富海間はさまざまな表情の海が広がる。その中ほどにある四郎谷地区の穏やかな入り江は、風光明媚な名所として親しまれている。 -
下関駅の機関車交換~ブルトレの朝の「儀式」
夕方から夜にかけて次々に東京駅を出発した九州方面行きの寝台特急。乗車して一夜明けると恒例の「儀式」があった。本州西端の下関駅での機関車交換。多くの鉄道ファンが注目するブルートレインの旅のハイライトだった。 -
SLやまぐち号 C571の煙突と集煙装置
国鉄での蒸気機関車復活が実現し、山口線にSLやまぐち号が走り始めたのは1979(昭和54)年のこと。産業遺産や観光資源としての期待が高まり、ローカル線活性化の切り札としての登場だった。けん引機のC57形1号機には、集煙装置や回転式火の粉止めなど、煙害を防ぐさまざまな改造が施された。 -
特急ヘッドマーク 幕回しの楽しみ
終点に着いた列車が折り返すときに見られる幕回し。かつて東北、上信越方面へ多くの特急列車が発着していた上野駅では、行き先方向幕だけでなく、前面を飾るヘッドマークの幕回しが見られた。一番の楽しみは普段見られなかったり、既に廃止された列車が一瞬だけ「復活」することだ。少年カメラマンには恰好の被写体だった。 -
乗らなかった20系客車への憧憬
2015年まで60年近くにわたって親しまれたブルートレイン。「象徴」といえば20系客車になるだろう。一時代を築いたが、80年代になるとその後登場した車両と比べて見劣りするようになり、「急行」として運転されるケースが増えていた。 -
大人への階段だった食堂車
かつては長距離優等列車の華として食堂車が連結されていた。昭和末期から平成初期にはずいぶん減っていたが、まだ東京—博多直通の新幹線などには連結されていて、ビジネスマンは「戦士の休息」の場として、旅行者は非日常が味わえる空間として機能していた。 -
まぶしい存在だった昭和末期の205系
今ではスタンダードとなった軽量ステンレス製の鉄道車両。開発当初は東急電鉄などで見られるだけだったが、国鉄が1985(昭和60)年、205系電車で採用したのを契機に急速に普及した。山手線に投入された銀色の電車は、人々の国電のイメージを一変させた。 -
大都会から山口県に移ってきた103系
1992年6月のJR山陽線防府駅(山口県防府市)。上り列車を待っていると、いつもと同じ瀬戸内色ながら、いつもと違う平べったい顔の電車が現れた。車体の形式名を見ると、なんと東京や大阪を走っていた103系だった。聞き覚えのある独特のドア閉め音とモーター音が鳴り響く。心に衝撃が走った。 -
鉄道のまち小郡の扇形車庫
山口県の玄関口・JR新山口駅。2003年9月までは「小郡駅」と称していた。鉄道のまちとして発展した小郡の象徴は扇形車庫だった。転車台を囲むように設けられたSL全盛期をしのぶ大きな建築物で、役目を終えたあとも十数年間残っていた。 -
みんなブルトレが好きだった
青い客車編成から「ブルートレイン」と呼ばれた寝台特急は、旅を楽しめる要素が多かった。東京の夜景に見送られ出発。深夜、布団にもぐりながら知らない街を眺め、翌朝は食堂車で朝焼けの瀬戸内海を眺めて朝食をとった。一期一会の乗客との会話も弾んだ。