宇部線のクモハ105形500番台〜地下鉄千代田線直通車の転身

地方の電化路線に残っていた茶色の旧型国電の置き換え用として1981(昭和56)年に登場した105系通勤形電車。旅客量に応じて短編成で走れる設計で、主に西日本のローカル線に投入された。

105系には新たに電化された奈良、和歌山線向けとして84年以降に追加された500番台のグループもあった。これは元は首都圏の常磐緩行線〜営団地下鉄千代田線を走っていた103系1000番台の改造車で、後継形式203系の登場に伴い余剰となったものだった。

主抵抗器からの排熱により地下鉄トンネル内の温度が上昇するなどの問題があって降板した103系1000番台だったが、車齢は15年程度とまだ使える状況だった。当時の国鉄の設備投資を抑える方針もあって、一部が地方路線へ転用されることとなった。

宇部線でも少数が活躍していた105系改造車
グループ。写真のクモハ105-532は2016年ま
で走り続けた=小郡(現新山口)駅、1988年

宇部・小野田線の105系は大半が新製車グループだったが、のちに改造車も少し回ってきた。座席の設計が古く乗り心地は良くなかったが、幼少期に荒川の鉄橋近くに住み千代田線にも乗っていた私は、山口県に転居後、昔なじみのこの少数派がお気に入りだった。

新たに運転台を取り付けて先頭車にしたため外観は普通の「105系顔」だったが、4カ所あるドアや車内壁面を埋めた広告枠など、103系時代の痕跡も残っていて懐かしかった。

クモハ105形500番台車内の広告枠=2016年

2000年代に入り首都圏に残った仲間の103系、さらには常磐緩行線〜千代田線運用の後を継いだ203系が引退する中、各地のローカル線を黙々と走っていた105系500番台は最近まで生き残っていた。

晩年は山陽本線、宇部線で増結用として活躍していたクモハ105-531は2016年の引退後、最後はイベントで「お絵描き電車」となった。車体には子どもたちが思い思いに描いたかわいい絵とともに、鉄道ファンによる惜別メッセージも多く見られた。

地下鉄直通運用を外れて一部が「都落ち」した103系1000番台だったが、105系500番台としてはその役割を十分全うし、幸せな「第二の人生」だった。

最晩年には濃黄色になって活躍した
クモハ105-531。戸袋窓やグローブ
型ベンチレーターなど103系の特徴
を多く残していた=下関駅、2016年
bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から小さな鉄道史を発表しています。

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