115系3000番台〜都市圏輸送を変えた「シティ電車」

国鉄末期の1982(昭和57)年、広島地区に登場した「ひろしまシティ電車」。地方都市で首都圏の国電並みの等間隔・高頻度運転を実現させたもので、「待たずに時刻表なしでも乗れる」ダイヤは各地の都市圏輸送のお手本になった。

高架化される前の防府駅付近を走る115系3000番台。
国鉄の一般車両としてはハイグレードだった=1984年

「ひろしまシティ電車」に合わせてデビューしたのが115系3000番台だ。「近郊形」ながら乗降ドアは「急行形」のような2扉で、宮島への観光客の利用や広島電鉄との競合などが考慮された車内は転換クロスシートが採用された。京阪神地区の「新快速」で活躍していた117系並みの、当時の一般車両としてはハイグレードな内容となった。

快適な新車は、私のような沿線の鉄道少年にも人気だった。特に背もたれの向きを変えて2人掛けにできるシートは、それまでの固定された4人掛けボックス席よりも窓側に座るチャンスが増え、乗車が一層楽しくなった。

駅で列車を待っていてクリーム色の車体に青帯を巻いた瀬戸内色の115系3000番台がやって来ると、「当たりだ!」と気分を良くしたものだった。

転換クロスシートが並ぶ115系3000番台。当初は
暖色系の内装で、こげ茶色の座席だった=1989年

115系の電動車は2両で1ユニットとなるシステムで、広島地区では中間に2ユニットが入った6両編成が基本となっていた。それを「ひろしまシティ電車」では15分間隔の運転を実現するため、4両編成に改めて輸送量の適正化を図った。

4両編成になると電動車は1ユニットとなり、万一故障の際は走行不能となる恐れがあった。115系3000番台ではパンタグラフを2基(1基は予備)としたり、故障時に最寄り駅まで走れるバックアップ機器を設けるなどして信頼性を向上させた。1ユニット運転に対する乗務員の不安や負担を少しでも和らげる措置だったといわれる。

パンタグラフを2基搭載したモハ
114形3000番台=防府、1987年

成功を収めた「ひろしまシティ電車」の登場から40年。今では各地で短い編成が日常化し、その立役者となった115系3000番台は山口県内の山陽本線で依然主力として活躍を続ける。

車体が黄色になるなど見た目はずいぶん変わったが、冗長性確保の象徴で「試用」とされていた2基のパンタグラフは今もそのままだ。屋根上を眺めると国鉄改革の一端をしのぶことができる。

濃黄色となった最近の115系3000番台=2022年
屋根上には今も2基のパンタグラフを備える=2023年

※115系3000番台の一部編成に組まれた3500番台は以下の関係記事をご覧ください

※115系3000番台1編成で2023年10月、瀬戸内色が復活しました。姉妹ブログにまとめました

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から小さな鉄道史を発表しています。

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