「夢の超特急」として1964(昭和39)年にデビューした0系新幹線。その親しみやすい団子鼻は日本の鉄道のみならず、高度経済成長期の象徴的なアイコンとなった。20年以上にわたり3216両が製造された0系は趣味の対象としてはマイナーな分野だったが、側窓の大きさなど、子どもでも楽しめる要素も多かった。
長期にわたって量産された0系は、後年の改造を除くと三つのタイプがあった。形態差として最も顕著だったのが窓の大きさで、普通車でみると、座席2列分の横幅1460㍉ある大窓車(広窓車)、ガラス破損対策として座席1列分630㍉と小さくした76年以降の小窓車、座席間隔の拡大に合わせて720㍉に改めた81年以降の中窓車があった。これらは同一編成内で混在していることも多く、子どものころ0系を見るときは、窓の大きさのチェックが楽しみだった。
小学生のころはサッカーをやっていて、よく試合のため新幹線の高架近くにある別の小学校を訪れた。グラウンドでの一番の楽しみは0系だった。次々とやって来る列車を見ては仲間と「これは大窓」「あれは中窓」などと話していた。
窓の大きさだけで小窓車と呼ばれる1000番台と中窓車2000番台を見分けるのは難しく、当時は何を根拠に判別していたのかは覚えていないのだが、車体中央にある非常口の有無なども確認していたかもしれない。
ともあれ、試合そっちのけで、やれ大窓だ!小窓だ!などとやっていたのである。上級生のプレーを見ないで新幹線を追いかけていたのだから、いま思うと呆れられていたことだろう。それでも鉄道書籍で覚えた知識を確認するのは、とても有意義だった。
ただ80年代前半ごろの新幹線は、東北・上越新幹線が開業して話題になっていたものの、趣味の対象としてはあまり人気がなかった印象だ。いま思うと0系は製造年次による細かい形態差があって奥深いのだが、1形式の存在だったせいか画一的なイメージを持たれていたのかもしれない。新幹線の人気が出てくるのは、85年に「ニュー新幹線」100系が登場してからだと思う。
0系引退からはや15年。現在の新幹線は多彩な形式が全国を駆け巡っている。最近の子どもたちはN700Sだ!500系だ!などと楽しくやっていると思うが、それらはきっと、鉄道趣味を含めた「探求」への入り口となるだろう。0系の側窓に目を凝らした昭和の鉄道少年のように。
※姉妹ブログ「れきてつ」では、0系後期の4両編成を紹介しています
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