SLやまぐち号 C571の煙突と集煙装置

国鉄での蒸気機関車復活運転が実現し、山口線にSLやまぐち号が走り始めたのは1979(昭和54)年のこと。産業遺産の継承や魅力ある観光資源として、ローカル線活性化の切り札の期待を背負っての登場だった。

以来40年余、けん引するC57形1号機は均整の取れたスタイルから「貴婦人」と親しまれ、山口県観光の一翼を担う欠かせない存在となっている。近年は相次ぐ故障に見舞われてしまったが、復帰を願う関係者は多い。

国鉄時代のSLやまぐち号で活躍するC571。
ヘッドライトの奥の四角い箱が集煙装置。
煙突上の高い位置に取り付けられていて目
立っていた=1986年、小郡(現新山口)駅

C571はSLやまぐち号として復活する際、さまざまな改造が施された。煙突には、トンネル内で煙の流れを調整し客室などにすすが入り込むのを防ぐ集煙装置と、火の粉の飛散を抑え火災を防ぐ回転式火の粉止めが取り付けられた。

当時はSL全廃によってようやく無煙化が達成されたばかりで、煤煙や騒音に悩まされてきた沿線住民や乗務員には、復活運転に慎重な意見もあったという。

国鉄側もそうした懸念を受け止めていたのだろう。石炭の燃焼を助け乗務員負担を軽減する重油併燃装置も付けるなどして対応策を取った。時代に合わせた姿となったC571は往時の姿とは異なっていたが、昔を知らない私はそれほど気にならなかった。

集煙装置を載せたC571の外観は「SLやまぐち号」
の姿としては定着していた=1989年、長門峡付近

しかし現役当時のSLに接した人には、やはり「別物」に見えたようだ。私が少年時代に交流していた飲食店主のおじさんは大の蒸機ファンだったが、D51形用の図面で作られ高い位置に取り付けられたC571の集煙装置については「デゴイチにはいいがシゴナナにはなぁ…これを外して走ってくれれば」と常々嘆いていた。

私もそんな話を聞くうちに煙突を意識するようになり、集煙装置を外したスタイルを望むようになった。だが、その姿を見る機会はほとんどなかった。

集煙装置を外したC571。煙突の上部に回転式
火の粉止めを取り付けている=2004年、仁保駅

そもそも、SL復活に当たり地元・広島鉄道管理局が要望していた形式は、山口線での運転実績もあるデゴイチだった。ところが当時、本線を走れる状態だったD51形1号機は煙突付近が一体カバーとなった「ナメクジ形」。集煙装置が取り付けられないという理由もあり、結局C57形に落ち着いた経緯があった。

集煙装置を載せたC571は山口県観光の「アイコン」として定着していたが、スタイルを損ねているという意識はJR側もずっと持っていたのかもしれない。

2000年代に入ると外して運転される機会が増え、現在では集煙装置は見られなくなった。回転式火の粉止めは装着されているが、復活の際に煙突を10㌢切断したC571には、外観上ではその補正に一役買っているようにも思う。

装飾をほぼやめて昔の雰囲気で運転
されたC571=2003年、長門峡付近

2003年秋、昔の雰囲気に近づけた外観で運転されたとき、隣で撮影していた年配のファンの方が「最高だね」と目を輝かせていた。長年待ち望んだC571の姿に、老若男女誰もが酔いしれた。

「帽子」を脱いだ貴婦人は美しかった。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から見た小さな鉄道史を発表しています。

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