寝台特急「さくら」の存在感 絵本や映画にも登場の1列車

2005年2月末まで東京と長崎・佐世保を結んだ寝台特急「さくら」。ブルートレインの代表格として多くの書籍・雑誌、映画などに登場。列車番号も約33年にわたって東海道・山陽本線の客車列車のファーストナンバー「1列車(1レ)」で、存在感がひときわ大きい列車だった。

「さくら」は1959年7月にデビュー。2年前に運転を始めた「さちかぜ」(東京—博多)が前身で、長崎までの延長や「平和」への名称変更を経て、20系ブルートレイン化に際して伝統の列車名を受け継いだ。

「1列車」は昔から看板列車に多く与えられた。九州ブルトレの場合は東京駅の出発順というだけだったが、「さくら」は61年10月から94年12月まで1レであり続け、ファーストナンバーにふさわしい存在感を見せた。

終点の東京駅に向けてラストスパートをかける「さくら」。写真はEF66形がけん引する時代で、ヘッドマークは「葉桜」と呼ばれたタイプだった=田町、1994年

「さくら」はメディアがブルートレインを取り上げた際によく登場し、書籍や雑誌などではピンク色の華やかなヘッドマークを掲げた電気機関車が表紙を飾った。映画でも「大いなる驀進」(60年)や「皇帝のいない八月」(78年)で舞台となるなど、国鉄の看板列車の一つとして高い知名度を誇った。

絵本の題材にもなった。1983年に刊行された「ブルートレインさくらごう」(小峰書店)は、「さくら」の東京発から長崎着までの印象的な場面を描いていて、夜行列車の旅の楽しさをリアルに伝える作品として親しまれた。

80年代前半の「さくら」は、東京を夕方の16時30分に出発。夜になった静岡発車後に寝台のセットが行われ、食堂車では長崎名物のちゃんぽんなどが味わえた。翌朝、本州西端の山口県内で朝を迎え、7時1分発の宇部から立席特急券の乗客を受け入れた。

下関で電気機関車を交換し、関門トンネルを抜けて九州へ。佐賀県の肥前山口(現江北)では、長崎行きの1〜8号車と佐世保行きの9〜14号車を分割し、異国情緒あふれる街、長崎に11時50分前後に到着した。いろいろな場面がある「1列車さくら」の1300キロ19時間以上の旅は、乗車ルポの格好の題材だった。

朝の下関駅に到着した「さくら」。客車は72年から
廃止まで長く14系が使われ、B寝台車は80年代前半
に3段式から2段式に改造された。94年12月に「み
ずほ」(東京—熊本・長崎)と統合されると運行時間
が繰り下がり、下りは「3列車」となった=1991年

東海道・山陽本線のブルートレインで「さくら」は東京を一番最初に出発し、到着は一番最後だった。人口の多い首都圏で見やすかったこともあり、鉄道ファンにはなじみ深い列車だった。学校から帰った夕方に見送り、休日に東京駅などで出迎えた人も多かったと思う。

山口県央部に住んでいた筆者は、逆に九州ブルトレでは最も遠い存在だった。下りは早朝の5〜6時台に、上りは深夜の21〜22時台に走っていた。子どもには少しハードルが高く、その分、たまに見た時の喜びはひとしおだった。

九州地区では主にED76形などの赤い交流電気機関車
がけん引。84年2月からはヘッドマークが復活した。
写真は同年に撮影した、花びらがピンク色のタイプ

ブルートレイン「さくら」が廃止されて20年。昭和初期の「櫻」以来の愛称は、今は関西—九州を直通する新幹線が引き継いでいる。

栄光の1列車時代はすっかり遠くなってしまったが、ブルートレインブームの頃に続々刊行された書籍、雑誌などは今も多くの人の書棚に並んでいることだろう。臨場感あふれる文章と写真が、往時の「さくら」の夜に誘ってくれる。

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bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンから見た小さな鉄道史を発表しています。
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