記事一覧
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防府駅西の小さな踏切~高架化で鉄道広場になった旧本線
JR山陽本線防府駅(山口県防府市)のすぐ西側に、かつて地域住民に親しまれた小さな踏切があった。1994年の鉄道高架化とともに姿を消したが、周辺は防府市と徳地町(現山口市)を結んだ防石鉄道(64年廃止)の記念広場として整備されている。 -
小郡にいた2軸無蓋車トラ145260
2004年8月、JR新山口駅(旧小郡駅)に隣接する車両基地でイベントが開かれた。主役はSLやまぐち号の蒸気機関車C57形やブルートレインけん引機EF65、EF66形だったが、一緒に並んでいた古びた貨車に目が留まった。木材も使われた黒光りした渋い外観。旧国鉄時代からの2軸無蓋車、トラ45000形だった。 -
人気を集めたオレンジカード~キャッシュレスの先駆け
きっぷが買えるカードとして国鉄末期に登場した「オレンジカード」。対応する自動券売機が全国の主要駅に設置され、キャッシュレスの利便性と真新しさから急速に普及した。絵柄の種類も豊富で収集対象としても人気を集めた。 -
流れ星マークを付けたEF66形~ブルトレ専用機の証し
国鉄末期の1985(昭和60)年3月からブルートレインで活躍したEF66形電気機関車。「あさかぜ」「はやぶさ」など伝統列車のヘッドマークを掲げた姿は多くのファンを魅了したが、JR移行後にもう一つ、ブルトレ専用機としての象徴的なアイテムが添えられた。運転席窓下、車体側面にあった「流れ星マーク」だ。 -
四国に渡った111系〜JR草創期を支えたベテラン
国鉄の気動車王国だった四国に電車が走り始めたのは、JRへの移行を1週間後に控えた1987(昭和62)年3月23日だった。翌88年4月10日に瀬戸大橋が開通すると、眺望に優れたグリーン車を連結した快速「マリンライナー」なども登場。電化区間は華やかな雰囲気に包まれた。その中で黙々と働くベテランもいた。新性能直流近郊形の元祖、111系電車だった。 -
国鉄ボンネット特急に浸る~クハ481-603の客室と運転台
昭和後期の国鉄特急を代表する485系電車。東海道の花形だった151系「こだま形」以来のボンネットスタイルは列島を駆け抜け、多くの人々を魅了した。九州鉄道記念館(北九州市門司区)ではクハ481-603を保存・公開し、その勇姿を伝えている。 -
ブルトレけん引機 EF66形に交代~60.3改正の衝撃
1958(昭和33)年から半世紀以上にわたって親しまれたブルートレイン。各時代・各地域でさまざまな機関車に彩られたが、東京駅を発着する6本の寝台特急のけん引機がEF65 1000番台(PF形)からEF66形に交代した85年3月のダイヤ改正は、ファンに衝撃を与えた。 -
鉄道新時代の扉を開いた100系「ニュー新幹線」
眺望に優れた2階建て食堂車、鋭く尖ったロングノーズの先頭車…1985(昭和60)年にデビューした東海道・山陽新幹線の100系電車は、フレッシュな存在感から瞬く間に日本を代表する花形列車となった。乗客を第一とした優れた車内設備は、その後の鉄道車両の模範となった。 -
0系新幹線の窓 大きさ比べ〜鉄道趣味探求の入り口
「夢の超特急」として1964(昭和39)年にデビューした0系新幹線。その親しみやすい団子鼻は日本の鉄道のみならず、高度経済成長期の象徴的なアイコンとなった。20年以上にわたり3216両が製造された0系は、趣味対象としてはマイナーな分野だったが、側窓の大きさの違いなど楽しめる要素も多かった。 -
京阪神のスター117系〜地方に回った後半生
1980(昭和55)年に発行された「レイル・カレンダー1981」(山と渓谷社)。その年にデビューした京阪神地区の117系近郊形電車が、新幹線や特急、ブルートレインなど当時の看板列車を押しのけて表紙を飾った。さっそうと走る姿を流し撮りでとらえた写真は、期待の新星への注目の高さがうかがえる。 -
急行「火の山」と阿蘇観光
1984(昭和59)年の夏、熊本駅から豊肥本線の急行「火の山」で阿蘇に向かった。当時は3往復運転されていたが、朝9時半ごろ出発する1号は観光客らで混雑していた。立野駅のスイッチバックを越えて阿蘇のカルデラに入ると、「火の山」の車窓には雄大な景色が広がる。知らない土地を進むローカル線の旅は新鮮だった。 -
昭和50年代 特急有明に連結された「ビデオカー」
昭和50年代後半、九州を代表する特急「有明」の一部列車に「ビデオカー」という車両が連結されていた。編成端に組み込まれた自由席車両で、大型スクリーンで郷土芸能や観光案内などのビデオをエンドレスで放映していた。