記事一覧
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山陽本線を見て泳いだ夏〜山口・防府の富海海水浴場
風光明媚(めいび)な瀬戸内海に沿って走る区間があるJR山陽本線。山口県防府市の富海(とのみ)駅付近には富海海水浴場があり親しまれている。列車を見ながら泳げる海は、地元の鉄道少年たちの夏休みお気に入りのスポットだった。 -
改札鋏と鋏痕への興味~昭和の鉄道駅風景
自動改札機の普及と駅員の無配置化が進んでいる現代だが、かつては主要駅でも多くは有人改札だった。入場時に駅員に切符を手渡すと、使用済みのしるしとして「改札鋏」と呼ばれるハサミで切れ込みを入れてもらうのが鉄道の日常風景だった。 -
103系高運転台車~ステンレス飾り帯のひみつ
国鉄時代に約3500両が製造された103系通勤形電車。1974年にデビューした後期型の高運転台先頭車クハ103形は、国電の顔として親しまれた。特徴的な前面窓下のステンレスの飾り帯は、デザイン上の苦肉の策として入れられたものだった。 -
東京と地方をつないだブルトレ~山口県内の停車駅振り分け
かつて東京駅から一晩かけて東海道・山陽本線を走ってきたブルートレインは、山口県内で朝を迎えた。岩国から下関まで中小地方都市が点在する同県。新幹線を補完する役割もあった各列車は停車駅を振り分けていた。 -
リゾートサルーン・フェスタ~口を開けておしゃべりする個性派
「私はフェスタです…」。前面の大きな「口」が開いておしゃべりするようにメッセージを流したJR西日本広島支社の団体臨時列車向け気動車「リゾートサルーン・フェスタ」。その強烈なキャラクターは1988年夏のデビューから話題を呼び、たちまち沿線の人気者となった。 -
12系レトロ客車~SLやまぐち号活性化の立役者
「お好きな時代にタイムトリップ」。JR山口線を走る「SLやまぐち号」の活性化のため1988(昭和63)年夏にデビューした12系レトロ客車。趣向を凝らした5種類の客室は、蒸気機関車だけに頼っていた人気を列車全体に広げ、SL列車に乗る楽しみを演出した。 -
マイタウン電車・タウンシャトル~九州のヘッドマーク付き電車
北九州・福岡都市圏輸送の主力だった交直流近郊形電車421、423、415系。国鉄末期には東京・大阪の国電並みの15分間隔で運転。「マイタウン電車」と命名されヘッドマークを付けて走った。 -
EF66形100番台~貨物機のイメージを変えたJR第1世代機
国鉄からJRに変わり各地でニューフェイスが登場する中、貨物列車でも新しい電気機関車が1989年にデビューした。東海道・山陽本線にはEF66形100番台が走り始め、これまでにないフレッシュな外観は貨物のイメージアップに貢献した。 -
陰陽連絡の一翼を担ったキハ181系特急「おき」
山陽新幹線に接続する小郡(現新山口)から山口線を通って、山陰本線の米子、鳥取まで走った特急「おき」(現スーパーおき)。キハ181系気動車の短い編成だったが、陰陽連絡列車としての役割は大きかった。 -
「雷鳥」と北陸本線~特急街道の記憶
1985(昭和60)年5月、北陸本線のエースだった特急「雷鳥」に乗った。京都・新大阪駅と加賀温泉駅(石川県加賀市)を往復する約4時間。当時の国鉄を代表する「特急街道」を満喫した。 -
SLやまぐち号で走った一等展望車マイテ49 2~レトロ演出の先駆け
1938(昭和13)年に製造され、東海道本線を中心に特急「富士」「つばめ」「はと」などで活躍した一等展望車マイテ49 2。61年の引退から四半世紀、国鉄分割民営化を控えた87年に本線復帰した。JR山口線の観光列車SLやまぐち号にも連結。懐かしさと気品にあふれる姿は大きな話題を呼んだ。 -
元東京機関区のEF65PF ~60.3改正後も続いた下関運用
昭和60年3月のダイヤ改正で東海道・山陽本線の主要寝台特急から撤退した東京機関区のEF65形1000番台(PF形)。主役の座をEF66形に譲ったが、本州西端の下関まで足を延ばす広域運用は後年まで続いた。